米国のキリスト教テレビ伝道師パット・ロバートソン(Pat Robertson)氏が2015年7月21日、CBNの「The 700 Club」という番組で、同性婚のせいで獣姦や複婚(ポリガミー)や小児性愛が認められてしまうと主張しました。
詳細は以下。
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番組の中でロバートソン氏は米連邦最高裁の同性婚容認判決に触れ、持論を展開しています。
「どうなるか見ているがよい、男性と動物との恋愛が完全に認められてしまうはずだ」とロバートソンは警告した。「複婚は必ず許可される。そしてそれは権利と呼ばれるのだ」
“Watch what happens, love affairs between men and animals are going to be absolutely permitted,” Robertson warned. “Polygamy, without question, is going to be permitted. And it will be called a right.”
共同司会者のテリー・メウーウセンもまた、同性婚は「子どもとの恋愛関係」も合法化すると主張し、小児性愛の合法化に「今まさに成功しかかっている」と断言した。ロバートソンはこれに同意した。
Co-host Terry Meeuwsen also made the claim that gay marriage will also legalize “relationships with children,” claiming that “they’re going to succeed now” in legalizing pedophilia, to which Robertson agreed.
やれやれ。
渋谷区の同性パートナーシップ証明書以来、日本でもこの手の主張をなさる方がたくさん見受けられます。しかし、根拠を一切提示せずに「AをするとBが起こる」と主張し「だからAを認めるな」と結論づけるのは、「危険な坂道」("slippery slope")と呼ばれる典型的な詭弁です。そんなもので他人が説得できると思えるだなんて、ずいぶん楽観的な思考法をお持ちなのでしょうね。
「同性婚を認めると、獣姦/小児性愛/複婚が認められる」
という文章は、論理構造の上では
「異性婚を認めると、獣姦/小児性愛/複婚が認められる」
という文章とまったく同じです。にもかかわらずなんとなく前者が正しく見え、後者が正しくないように思えるのは、「結論に賛成である場合、論理が正しいか否かが見えなくなりがちである」という、よくある現象にすぎません。
それでもまだピンと来ないのなら、
「哺乳類の体細胞を刺激すると、STAP細胞になる」
という主張を思い出してみてはどうでしょう。理化学研究所の小保方晴子氏によるこの説は、(1)根拠となるデータが不十分で、(2)追試実験も成功しなかったことから、現在サイエンスの世界では支持されていないわけですよね。「同性婚を認めると、獣姦(略)が認められる」説にしても、(1)根拠となるデータを提示できた人はおらず、(2)同性婚を合法化した国々でもそんな現象は観察されていません。にもかかわらずロバートソン氏に同調するなら、それは「小保方さんの割烹着姿に好意を持ったからSTAP細胞はあると信じる」というのと同じぐらい非論理的だってことですよ。
それにだいたい、獣姦に反対したいのなら動物性愛者に、小児性愛に反対したいのなら小児性愛者に、複婚に反対したいのならポリガミストに直接そう言えばいいのであって、無関係の同性愛者を引き合いに出されても困るというもの。今後もこういうトンデモ説は世界中で唱えられていくのでしょうが、しつこく反論していくしかないのかなと思ってます。黙ってスルーするのは簡単だけど、放っておくと信じちゃう人がいるからねえ、こういうの。
蛇足ながらつけ加えておくと、全米での同性婚容認判決を機に、米モンタナ州で、「結婚の平等を認めるならポリガミーも認めるべき」と主張して訴訟を起こした人もいることはいます。しかし、こうした議論の責任を同性愛者に求めるのは、やはり筋違いです。同性婚とポリガミーについて、あたしは漫画家の田亀源五郎さんの以下のツイートに賛同するものです。
同性婚を合法化するなら一夫多妻などのポリガミーは…という論をときおり見かけるけど、これ、その二つを接続すること自体が間違い。同性婚は結婚のシステム(1対1の契約)はそのままで組み合わせだけを広げようという話ですが、対してポリガミーはシステムの形そのものを変えようという話。(続く
— 田亀源五郎 (@tagagen) 2015, 7月 11
続き)つまり乱暴に言うと、同性婚の合法化とは基本的に現行の結婚の形自体に対しては肯定的であるのに、ポリガミーは逆にその形に異を唱えているわけ。論ずべきポイントが全く違う問題なんです。それぞれ別々に議論を進めるべき話を、無自覚か何らかの意図で接続しているだけ。(続く
— 田亀源五郎 (@tagagen) 2015, 7月 11
続き)で、それらが接続されるケースには2パターンあって、1つはポリガミーを合法化したいという人で、もう1つは同性婚を否定したいがためにタブーとしてのポリガミーを持ち出している人。前者はシステム自体の変更を求め、後者は温存を求めている…と、正反対なのが興味深い。(続く
— 田亀源五郎 (@tagagen) 2015, 7月 11
続き)しかしどちらも前述したように、「同性婚が合法化するなら…」という前提を持ってくるのは、論ずべきポイントが全く違っているので間違い、もしくは意味がない。それでもあえて接続ポイントを探すなら、それはもう「モラル」とかになっちゃうわけで「え、正邪の問題なの?」ってことに。
— 田亀源五郎 (@tagagen) 2015, 7月 11
補足:いちおう私個人としては、ポリガミーの合法化のような1対1という形に縛られない結婚の自由化も、どんどん進んでいけばいいなぁと思っています。ただし、論点は全く違う同性婚をダシに使うべきではない、という話。
— 田亀源五郎 (@tagagen) 2015, 7月 11