石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

米大学で映画『ストーンウォール』に抗議→上映延期

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米国コロラド州の大学で予定されていた映画『ストーンウォール』(2015)の上映に学生たちが抗議し、上映は延期となりました。

詳細は以下。

Amid controversy, ‘Stonewall’ screening postponed - The Catalyst

『ストーンウォール』はローランド・エメリッヒ監督作品で、1969年にニューヨークで起こった「ストーンウォールの反乱」をもとにしています。架空の白人シスジェンダーゲイ男性を主人公としたことで、「ホワイトウォッシング(白人化)だ」「トランスの存在が消されている」として批判されている作品です。

同州コロラドスプリングスのコロラドカレッジでは、映像メディア学部がこの作品を10月21日に上映する予定でした。しかし学内のLGBTQIA+コミュニティーから反対の声が上がり、上映ボイコットを提唱するグループ「R.A.I.D.」は、以下のような手紙を大学当局に送ったとのこと。

「この映画は漫然とした暴力です」と、アクティヴィストは書いた。「シスジェンダーの白人同性愛者がついに『婚姻の平等』を達成し、多くの人が戦いは終わったと考えている世の中では、より軽んじられている集団を黙らせるという明白な目的をもって非実在の人物を捏造し、歴史にもとづく映画の中に登場させるということは、抑圧の階層構造を強化してしまいます」

“This film is discursively violent,” write the activists. “In a world where cisgender, white gay people have finally achieved “marriage equality” and many see the struggle as being over, it is reinforcing a hierarchy of oppression to invent someone who never existed and place them in a historically-based film with the express purpose of silencing more marginalized groups.”

映像メディア学部は、上映イコール作品内容の容認ではないとし、上映の目的はこの映画を視聴して討論する機会をできるだけ多く提供することにあると説明。また、スペイン語とポルトガル語の教授、ナオミ・ウッド(Naomi Wood)氏は、クィアな人びとの問題に注意を集めるにはマスコミによるこうした表現の分析と批評が不可欠だとして、上映を支持しています。

しかしながら学生の中からは、「批判的討論の重要性は、クィアやトランス*(訳注:半角アスタリスクは、この部分に『ジェンダー』、『ヴェスタイト』、『セクシュアル』など、さまざまな単語が入ることを意味します)の学生たちの安全と福祉にまさるものではない」という意見も。前述のR.A.I.D.は、手紙の中で以下のように述べています。

「(映画を上映すれば)何人かの生徒たちは、職員や教員はもちろん他の学生にもこの映画の問題のある要素についての情報を知らせるという重荷を必然的に背負わされます」とR.A.I.Dは書いた。「そのような話し合いのために、クィアな生徒たちは、自分たちがこのように感じるのは正当なことであると示すためにあれこれ教えなければならない立場にまたしても立たされます。精神的に消耗するし、大変だし、正直言ってそれはわたしたちの仕事ではないのです」

“Inevitably, some students will have the burden of informing other students as well as staff and faculty about the problematic aspects of the film,” R.A.I.D wrote. “The conversation will, yet again, put queer students in the position of having to teach to justify the validity of our feelings, which is emotionally draining, difficult, and frankly, not our job.”

同大学では10月19日に上映の是非を問う公開討論会が開かれ、結果として上映は延期となったとのこと。

このニュースを途中まで読んだ段階では、「上映を中止させるのではなく、上映に合わせて実際のストーンウォールと映画の違いがわかるような資料を集めた展示会や、映画の内容について話し合うパネルディスカッション等をぶつければいいのでは」とかなんとか思ったんですよ、正直。でもR.A.I.D.の手紙の「重荷を必然的に背負わされる」という部分を読んで、はっとしました。そうなんだよ。クィアの側だけが常に教育や説明の責任を負わされるというこの不均衡は、展示会やディスカッションじゃ解決しないんだよ……。

基本的にはあたしは前述のナオミ・ウッド教授の考え方に賛成です。つまり、マスコミによる表現になんらかの問題がある場合、それを人の目に触れさせなくすることより、分析・批評によって何がどう問題なのかを広く世に知らしめることの方がはるかに有意義だと考えています。けれど、もしもその分析・批評のために、クィアやトランスの学生たちが「時間や労力や心理的なコストを費やして一から十まで説明する役目を引き受けるか、それとも黙って見当違いな議論を傍観するか」という二択を迫られるのだとしたら、それはフェアじゃないとも思います。大学側が上映を中止ではなく延期としたのは幸いですが、そんなわけで、再度上映の予定を組むときにはこうした学生たちに余計な負担をさせないためのなんらかの工夫があってもいいんじゃないでしょうか。クィアの側が「精神的に消耗する大変なこと」を押し付けられる不安なしで議論できる環境っていうのは大事だと思うのよ実際。

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