ニュージーランドのトランスジェンダーのグループが、ルームメイト募集広告で「異性愛者お断り」としたために人権委員会から批判を受けました。複数のアクティヴィストが、この批判は不当なものだとする意見を発表しています。
詳細は以下。
GayNZ.com “Unacceptable flatmates are painted as villains”
この募集広告は、ウェリントンのアパートでルームシェアをしているトランスジェンダーのグループが、同国最大のオークション&広告欄サイトTrade Meに掲載したもの。広告の文面には、「わたしたちはカップル、異性愛者、夜うるさい人、飲酒やドラッグまたはパーティーをたくさんする人との同居は望みません」と書かれていたとのこと。
これについて同国の人権委員会は、異性愛者の入居を断ることは違法ではないが、委員会が支持しないことであるとして批判。このグループは、以下のような反論を発表しました。
トランスフォビアのために、トランスの人びとは日常的に住宅供給を断られています。わたしたちの家を異性愛者がいない、そしてシスジェンダーがいないものにしておくことは、異性愛者やシスジェンダーの人たちが住居を見つける機会をそこなうものではありません。これは、不利な条件におかれたグループに害をなす差別と、不利な条件におかれたグループを守る差別の間の根本的な違いです。
わたしたちはただ、シスジェンダーの人びとが当たり前のことと見なしているのと同じ権利を行使しているだけです。つまり、自分の家で安全かつ快適に過ごすという権利です。
Trans people are routinely denied housing due to transphobia. Heterosexual cisgender people are not. By keeping our home heterosexual- and cis-free we are not hurting heterosexual and cis people's chances of finding housing. This is a fundamental difference between discrimination which harms a disadvantaged group and discrimination which protects a disadvantaged group.
“We are simply exercising the same right which cisgender people take for granted - the right to be safe and comfortable in our own homes.”
また、同国の性的少数者団体「ジェンダー・マイノリティーズ・アオテアロア」(Gender Minorities Aotearoa)のアデライン・グレイグ(Adeline Greig)さんは、このグループが委員会から「人権の敵」扱いされることは容認できないとして、以下のように述べています。
「もしもスタート地点で立場が対等なのであれば、異性愛者お断りとするのは差別でしょう。しかし、わたしたちの置かれている立場は対等ではないのです。『異性愛者お断り』と言うのが不公平な差別となるのは、異性愛者が広く住居差別の対象とされているときだけです。これは『狂ったPC』でも『特権』でもなく、公正(equity)に関することであり、公正とは権利章典や人権法のすべてです」
“If we started from an equal position, it would be discrimination to say no heterosexuals, but we start from an unequal position. Saying ‘no heterosexuals’ would only be unfair discrimination if heterosexuals were targeted by widespread housing discrimination. It’s not ‘PC gone mad’ or ‘special rights’, it’s about equity – which is what the Bill of Rights and the Human Rights Act are all about’’
そして、ニュージーランドのLGBTQユース支援団体「インサイド・アウト」(InsideOUT)のタビー・ベスリー(Tabby Besley)さんの意見は、こう。
「残念なことにニュージーランドのトランスの人びとは日常的に住居差別に遭っており、そのためにしばしばホームレスになっています。すべてのトランスの人たちが安全な住居へのアクセスを得ることが、絶対に必要です」
「自分と同じようなアイデンティティーを分かち合える人との同居を望むのは、安全確保のためのよくある方法であり、トランスの人びとが取らざるを得ない大切な予防措置なのです」
“Unfortunately trans people in New Zealand face housing discrimination on a regular basis, often leading to homelessness. It is imperative that all trans people have access to safe housing.
“Wanting to live with people who share similar identities with you is a common way of ensuring that safety, and an important precaution many trans people are forced to take.”
結論を先に言うと、自分はこのルームメイト募集広告が「差別」だとは思いません。この一件を読み解くキーワードは、上記アデライン・グレイグさんの言う"equity"(直訳すると『公正』、原義では『フェアで偏りがないこと』)だと思います。
"equity"と"equality"(直訳すると『平等』、原義では『等しい状態にあること』)は別物です。上記人権委員会が求めているのは、一律で誰でも等しく扱うこと、すなわち"equality"であって、もともとの立ち位置の違いから来る偏りをなくしてフェアな社会を作ろうとする"equity"とは違うと思いました。このやり方では結果としてマジョリティばかりが得をしてしまい、弱い立場に置かれた人たちの生活はおびやかされたままなのでは。
"equity"と"equality"の違いについては、以下がとてもわかりやすいのでぜひご一読を。
リンク先に飛ぶのが面倒な方のために、画像による説明も載せておきます。
記事が長過ぎて読むのをあきらめた人はこちら。画像一枚でわかりやすく「EQUALITY」と「EQUITY」の違いを説明してるわ。 pic.twitter.com/uTLPWtiSpP
— キャシー (@torontogay69) 2013, 3月 17
先述のウェリントンのアパートについて、シスヘテロも入居させるべきと主張するのは、最初からリンゴに手が届く人にまで「等しく」踏み台を配れというようなもの。それはフェアではないとあたしは考えます。
「俺たちにも踏み台をよこさないのは不公平」と騒ぐ特権階級サマというのはどこにでもいるものです。たとえばきのう紹介した、ホッケースティックにレインボーカラーのテープを巻いてLGBTQユースを支援する活動についても、さっそく「異性愛者のプライドの色のテープもサポートしろ」「そうじゃないなら平等(equal)じゃない」と文句をつけている人がいました。このキャンペーンがLGBTQであるためにホッケーを続けられない子どもたちを励ますためのものであることや、異性愛者であるためにホッケーから排除される子はいないということは都合よく無視されてしまってるわけです。誰しも自分の持っている特権には無自覚になりがちなので、「横並びでなんでもかんでも同じ扱いをすることが即『公正』というわけではない」ということは、常に胸に刻んでおかねばならないと思います。