石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 』(牧村朝子、星海社新書)感想

同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル (星海社新書)

「同性愛者/異性愛者」という線引きに問いを投げかける良書

「同性愛者/異性愛者」という線引きの自明性を問い、人はなぜ、そしてどのように「同性愛者」を区別しようとしてきたのかを史実から解き明かす良書。語り口調でかみくだいて書かれた本ですが、情報量がすごいです。迷妄を破り、自由になるために必読の書。

「同性愛者/異性愛者」の切り分けは、いつ、どこで、なぜ生まれたのか?

本書の骨子を端的に表しているのは、p. 24の以下のくだり。

人が人を「同じ同性愛者の仲間」と呼ぶのは、人が人を「自分たちとは違う同性愛のやつら」と認識するのは、もともと「同性愛者/異性愛者」の間に線が引かれているからではありません。人が言葉によって線を引いたからです。

そう、「同性愛者/異性愛者」の線引きは実は19世紀のヨーロッパで初めて発案されたもので、人類がもともと本質的に「同性愛者/異性愛者」に分かれていた、あるいは分かれているというわけではないんです。では、いったいなぜそのようなカテゴリーが提唱されねばならなかったのか。そのカテゴリーが現在に至るまでどのように使われ、どんな影響をもたらした/もたらしているのか。それを、豊富な資料をもとに驚くほどわかりやすく説明してくれるのが本書です。

本書の特徴(1):情報が豊富&わかりやすい

本書で一貫して説明されているのは、「同性愛者/異性愛者」という線引きは、同性を愛する人たちの擁護にも弾圧にも使われ得る諸刃の剣だということ。本書は、自殺した親友のため同性愛の非犯罪化を訴えたケルトベニ(ベンケルト)や、「生まれつき」説で刑法を改革しようとしたウルリヒスのエピソードから、現代のSNSで出回る「これが〇〇に見えたら同性愛者」というインチキ心理テスト、はたまた「子どもを産んだらレズビアンじゃない」という偏見に至るまで、実にたくさんの事例をもとにこの「線引き」が何をしてきたかを解き明かしています。

「同性愛(者)」という概念の成り立ちや歴史を解説した本は他にもいろいろありますが、これほどの情報量を、これほど平易な文体で系統立ててまとめた日本語の本は初めて読んだと断言できます。もうね、読んでいるうちにぐいぐい内容に引き込まれて、ケルトベニやウルリヒスが友達みたいに思えてきますもん。「ちょっと待ってウルさん、あたしゃケルさんの方に賛成だよ」とか語りかけたくなりますもん。大正期の日本で大流行したクラフト=エビングについても、これまで「おまえが同性愛を退化だの欠陥だのと書いた*1せいでどれだけ迷惑したと思っとるんじゃー!!」としか思っていなかったのに、彼が「異性愛者になりたい」と泣きつく患者たちを救うために「同性愛=病気」説を提唱し、スキャンダラスに扱われないようにとわざわざラテン語で学術書を出したことなどを本書で初めて知り、「誤解しててすまんかった、エビさん」とちょっと反省したりしました。

帝国主義下で同性愛者たちが「同性愛者=少子化=国家の敵」説のもとに排除、殺害されていった経緯についても、本書は今までに読んだどの本よりわかりやすかったです。ナチスドイツや米軍の愚行だけでなく、「享楽権」(楽しむために性行為をする権利)を唱えて言論封殺で命を奪われた日本の生物学者、山本宣治のエピソードまで網羅されていて、たいへん勉強になりました。いまだに生殖を根拠に同性愛者への迫害を正当化できるとお考えの方々たちは、その迫害のためにこれまでどれだけたくさんの命が奪われてきたかを本書第3章でお読みになり、以下の文章(p. 117)を噛みしめてみてはいかが。

本当に、皮肉なことです。生殖のための性行為ばかりを称揚する価値観こそが、こうして人を殺していったというのは。

本書の特徴(2):「診断法」というユニークな切り口

サブタイトルにもあるように、本書はこれまで世界中で考案され続け、そして失敗し続けてきた各種の「同性愛診断法」を切り口にして「同性愛者」という概念の歴史を振り返るという他に例を見ないスタイルを取っています。紹介されている診断法は全部で26種。「同性愛者はお尻で見分けられる」、「直腸で見分けられる」、「オナニーの話をさせれば見分けられる」等々、現代の知見からすると冗談としか思えない説が目白押しですが、本書で重要なのは、これらの診断法が(1)なぜ作り出される必要があったのか、そして、(2)なぜどれひとつとして客観的に同性愛者を判別する役には立たなかったのかということ。

これらの診断法は、ひとつには、同性愛を「生まれつきのもの」として非犯罪化するため、同性愛の原因を非同性愛者との身体(や脳や心)の違いに求める動きの中で生まれてきたと本書は説明しています。一方、逆に同性愛者を「国家の敵」として排除するためにも、こうした診断法はさかんに考案されました。しかしながら、このような診断法が実質的に同性愛者を判別できた試しはありません。なぜか。それは、こうした「診断」の陰にある、「同性愛者は同性愛者でない人と客観的に区別できる」という前提自体がナンセンスだから。「同性愛者/異性愛者」という分類がそもそも絶対的なものではない以上、両者を見分ける絶対的な基準は存在し得ないんです。

ウィトゲンシュタインはかつて、意味のない問題にはまともに答えることができないと言いました。哲学者の土屋賢二氏は、ウィトゲンシュタインのこの説を説明するための例として「なぜ人間は八本足なのか」という問題を挙げ、「どんなに事実を調べても、どんなに該博な知識をもっていても、そもそも問題として成り立っていないんだから、答えようがありません」*2と書いています。「同性愛者と非同性愛者を客観的に見分ける方法は何なのか」という問いについても、これと同じことが言えるのでは。そもそも問題として間違っているため、正しい答えの出しようがないというわけ。

それでも今なお、同性愛者とそれ以外を切り分けようという試みはなくなる気配を見せません。上の方で触れた、SNSなどでよく回ってくる「〇〇に見えたら同性愛者」という画像などは、その一例。19世紀以来連綿と続くこのような切り分けの背後にあるものを知ることが、「どうすればそれぞれ違った人間同士が同じ社会で一緒に暮らせるか」(p.6)を探る上で役立つのではないかというのが本書の提案であり、あたしはそこに強く共感しました。

こんな人におすすめです

この本が誰におすすめかというと、まず第一に「自分は同性愛者かも」と悩んでいる若者のみなさん。知ることがあなたをもっと自由にしますよ。それから、生殖がどうの生物学がこうのと叫ぶホモフォーブご一同の妄言にうんざりしているすべての人にも、この本はおすすめです。この手の古典的偏見に負けないための最大の武器は理論武装ですが、ネットで断片的な知識を仕入れるより、これを1冊読んでおいた方がよっぽど早いと思います。そうそう、ホモフォビックな言動を批判された人から「何が悪いのかわからない、こちらが納得するまでお前が懇切丁寧に説明せよ」と絡まれたとき、「これ読んでください」とひとことで済ませるのにも、本書は役立ちそうです。とまれかくまれ、一家に一冊備えておいて損はない名著だと言えましょう。

まとめ

斬新な切り口ととっつきやすい文体を武器に、膨大な情報(実際、巻末のリファレンス一覧には圧倒されます)をあたかも藤子不二雄まんがの「圧縮学習装置」*3のごとき効率で脳に流し込んでくれる画期的な一冊。セクシュアリティに関する本をこれまでそれなりにたくさん読んできたつもりの自分でも知らなかったことが山ほどあり、驚いたり考えさせられたりしながら楽しく勉強することができました。悩める若者の最初の一歩にも、海千山千の古強者の知識のブラッシュアップにもおすすめできる良書であり、これで840円(税抜)は安すぎると思います。

*1:『性的精神病質』(1886)。原題はPsychopathia Sexualis、訳書は『変態性欲心理―変態性欲と近代社会〈1〉 (近代日本のセクシュアリティ―“性”をめぐる言説の変遷』など

*2:土屋賢二. (2014). 『あたらしい哲学入門 なぜ人間は八本足か?』[Kindle version]. Retrieved from Amazon.com. 東京: 文藝春秋. No. 349/2958.

*3:『T・Pぼん』に出てくるアレです。