石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

説明長すぎ~『アナと雪の女王2』感想(ネタバレ)

アナと雪の女王 2 オリジナル・サウンドトラック

説明長すぎ、既視感ありすぎ

「近所にできた新しい飲食店に『どんな料理が出るんだろう』と楽しみに行ったら、つまらない口上を長々と聞かされたあげく、『他の店と同じ料理に、アナとエルサの顔がついた箸を添えただけ』的なものが出てきた」みたいな映画でした。ただしお店の音楽と視覚的演出にはアナ雪チェーンならではの迫力とワクワク感があり、それ目当てに行っても余裕でもとがとれる*1と思います。ジェンダーやセクシュアリティの描写にも、ディズニーなりの新しみが感じられてよかったです。

よかった点

ヒロインの意向を尋ねるヒーロー!!!!!!

この映画の何に驚いたって、危機に陥ったアナを馬上ならぬトナカイ上に抱き上げて間一髪で救ったクリストフが、次の瞬間アナに「どうすればいい?」と尋ねるシーンです。こういう場面でまずヒロインの意向を確かめることができるヒーローって、初めて見た気がします。

これまでのディズニー映画でいうと、たとえば『アラジン』(2019)のアラジンは、市場での追っかけっこの際にジャスミンの考えなど一度も聞いていません。判断を下すのも、指示を出すのも、全部アラジンです。『リトルマーメイド』のエリックも、自分の考えだけで船を動かして海の魔女アースラに突っ込んでいます。でも、アナ雪2のこの場面は違うんです。クリストフには「自分の判断はアナの判断より上なはず」みたいな発想がないわけで、そこがたいそう斬新だと思いました。

これはおそらく、前作から通してアナの勇気や問題解決力、姉への愛、そしてそれらに対するクリストフの敬意を描いてきたからこそなしえた描写だと思います。余談だけどクリストフ、セックスもアラジンやエリックよりうまいだろうねきっと。

セクシュアリティと結婚・後継問題

アナ雪2では事前の説明通りエルサに恋人はできず、それどころか王室の後継者という重責からも解き放たれるというオチになっています。つまり彼女は、恋愛=結婚=国を継ぐというディズニープリンセスお決まりのライフコースから解放されたキャラなわけ。

『メリダとおそろしの森』のメリダも『アラジン』のジャスミンも、あれだけ冒険して得たのは結局「嫌な男との結婚『は』強制されない」ということだけでした。異性と結婚する義務と、国を継ぐ義務と、そしておそらくは世継ぎを生む義務は課せられたまま。それを思えば、アナ雪2の結末はいくぶんか新しくなっていると言えるでしょう。そうは言ってもその義務は妹のアナにスライドしているわけだし、主人公のプリンセス自ら王政を廃して大統領制にすると言い放った『シュガーラッシュ』ほど新しくはないのが、現時点でのディズニーの限界だとは言えますが。

なお、本作で(も)恋愛が描かれないからといって、即エルサをAセクシュアルであると解釈するのはちょっと違うんじゃないかと自分は思いました。というのは、エルサは今回やたらと水の精たる馬にうちまたがり、暴れん坊将軍のオープニングもびっくりな勢いで走り回っているからです。

アートの世界では、馬は自由や力の象徴であるとともに、性的パッションの寓意としても使われています。ほら、ゴヤのEl caballo raptorが良い例です。ユングも馬はリビドーの象徴だと言っています*2し、Cirlotはギリシャ神話における馬は強い欲望と本能を表していると書いています*3。そんなわけで、本作のエルサが妙にフェティシスティックなピッタピタの衣装を着て、時にずぶ濡れで馬を駆るという描写は、彼女の性的パッションの暗喩たりえていると自分は考えました。まとめると、この映画は「(1)キャラの性的な情熱の有無、(2)キャラが今誰かとロマンティックな関係にあるかどうかどうか、(3)キャラがどのような人生を歩むか、の3つはそれぞれ別個の事象であって全部を混ぜる必要はない」という話として見ることができると思います。

そのほか、前作でゲイだと言われていた山の店主・オーケンが、2では大きな体でマニキュアリスト(あれ? ペディキュアだっけ?)的な仕事をしていたりするところなんかも面白いと思いました。こういう細かいところも、ジェンダー・ステレオタイプに対するディズニーなりの挑戦なんじゃないでしょうか。

音楽とビジュアルエフェクト

これについては映画館で見た方が絶対いいです。YouTubeでクリップだけ見たところで、あの迫力は半分も伝わりませんよ。大画面の大音響で見るべきよ!

今いちだった点

説明説明また説明

説明台詞が多すぎる。冒頭からして前王による説明説明また説明。それがようやく終わったと思ったらお母さまの子守歌で説明説明、えんえん説明。「ずっとかわらないもの」や「イントゥ・ジ・アンノウン」などのナンバーでようやくミュージカルらしくなったと思っても、またすぐトロールの長による説明タイム(これはまあ前作にもあったんですが)が入り込んできます。おまけに、ダメ押しにオラフまでがとある場所でアナ雪1のストーリーを熱心に説明し始めるではありませんか。うんざり。

一応言っておくと、説明が入るのがいけないわけじゃなくて、面白くないのがいけないんです。『美女と野獣』のステンドグラスに始まりステンドグラスに終わる様式美や、『リメンバー・ミー』の、小さな少女がママのつくった靴をはいて嬉しくて踊りまわってあっという間に大人になる場面のかわいらしさや、『カールじいさんと空飛ぶ家』の、主人公の過去数十年間の人生を台詞ゼロで全部見せてしまうオープニングに比べ、アナ雪2の説明タイムはどれもびっくりするほど退屈だったと思います。

既存の話の焼き直し

冒頭でエルサが謎の声に思わず呼応してしまうあたりで、「はいはいジャック・ロンドンですね」と思ったんですが、まさかオチまで「太古の血でつながった仲間たちのもとに帰り、原始の森を自由に走る」という『荒野の呼び声』路線のままだとは読み切れませんでした。あと、エルサが自分の使命を母親から教えられるくだりは、まるっきり映画『スーパーマン2』(1980)の「孤独の要塞」の場面の焼き直しだと思います。話の最初と最後と、キャッチコピーにも使われた「なぜ、エルサに力は与えられたのか――」という謎が解かれる場面がすべてどっかで見たような話って、そりゃないよディズニー。本歌取りは本歌を連想させることで作品世界にふくらみをもたせたり、重層的にしたりしてこそ面白いんであって、全然ふくらんでないものを皿にのっけてただ出されても困っちゃうよ。おかげで、ギャグのつもりで入れたと思われるクリストフの80年代ミュージックビデオ風シーンにも「もう懐古はいいから話を進めてくれ」としか思えませんでしたよ。

まとめ

ディズニーなりに新しい挑戦をしてはいるし、歌とビジュアルエフェクトもよかったんだけど、肝心のシナリオが説明過多でガタガタしているところが残念な作品。もうちょっと他にやりようはなかったのかなあ。

*1:実際、字幕版と吹替版で計2回観に行って、2回とも十分楽しめました。

*2:Jung, C. (2003). Psychology of the Unconscious. Dover Publications. (Original work published 1912.)

*3:Cirlot, J. E. (1962). A Dictionary of Symbols. London: Routledge and Kegan.