石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

『サグラダ・ファミリア[聖家族]』(中山可穂、新潮社)感想

サグラダ・ファミリア 聖家族 (新潮文庫)

サグラダ・ファミリア 聖家族 (新潮文庫)

古くて新しい物語

レズビアンの孤独なピアニスト響子が、最愛の元恋人透子の死を経て到達したひとつの境地を描く物語。「ものすごくベタなタイトルと、それに見合ったものすごくベタなオチ」という取り合わせなのに震えるほど感動せずにはいられないという、魔法のような作品です。この作家さんらしい鮮烈なイメージ描写やたくまざるアフォリズムも、おそらく魔法の一環なのでしょうね。20年近く前に発表された小説だけにところどころに古さもありますし、レズビアン描写が100パーセントのリアリティにあふれているというわけでもない(そうする必要はないとも思いますが)のだけれど、そこを越えて立ち上がってくる根源的なテーマに圧倒されまくりました。

ベタな結末、根源的なテーマ

「キャンプ場で食べるカレーって、どうしてこんなにおいしいんだろう」
「うん。世の中で一番うまいもののひとつだな」

なんていう素朴な会話(p. 199)で読み手の心と胃袋をがっちり掴んでおいてから、

わたしは照ちゃんを見ていると、いつも思うことがある。女が男に絶対にかなわないことがひとつだけあるということだ。体力とか、腕力とか、まして知力なんかじゃない。
それは、オカマの人のやさしさである。

という卓見(p. 201)でふっと笑わせ、そこからわずか2ページほどでたたみかけるようにテーマに肉薄していく結びの部分が良くて良くて。冒頭にも書いた通り、展開自体はベタなんですよ。結末がこうなるであろうことは、かなり早い段階で読めちゃう。にもかかわらずたまらなく胸打たれてしまうのは、この話が新しいようでいて実は古いテーマをはらんでいるからではないでしょうか。

その昔古英語を学んだとき、何百年(場合によっては千年以上)も前の言語を研究するには「異文化や異言語と接触しても変わりにくい単語」を手がかりにするのだと教わりました。その変わりにくいものの代表格が、「家族の呼び方」なのだそうです。現代英語の"mother"は、古英語では"modor"。"father"は"fæder"。ほとんど変わってません。他民族に征服されようと、ラテン語やギリシャ語から大量の語彙が流れ込もうと、ここは変わらなかったわけ。それはきっと、家族というものが人間にとってもっとも根源的で大切なものだったからじゃないかと思うんです。

『サグラダ・ファミリア[聖家族]』のラストが震えるほどの感動を呼ぶ理由も、そこにあるのではないかと思います。器こそ新しく見えても、その中に格納されているのは古から続くいとおしいもの、変わりようのないものなのであって、だからこそ心の奥底の古代人までもが思わず立ち上がって快哉を叫んでしまうのではないか。そんなことを思いました。

魔法の一環としてのレトリック

この小説の視覚的な鮮烈さに関しては、この部分(p. 57)にとどめをさします。

先生は、パリの三河屋チェーン店ニコラスで買い物をして、店から出た途端、バスに轢かれて死んだ。そのとき先生が抱えていた三本の赤ワインと、先生の内蔵から流れる夥しい血が路上を赤黒く染め、あの小さな老人の体のどこにこれだけの血液が詰まっていたのかと、道行く人々は驚愕の眼差しで見つめたという。その日から、わたしは赤ワインが飲めなくなった。

この描写力だもん。そりゃあ、読んでてぐいぐいねじ伏せられちゃうのも当然かと。

そして、数あるアフォリズムの中から同性愛関係のものを選ぶとしたら、こちらです(p. 21)。

透子は食べたあとで必ず皿を洗ってくれたり、コーヒーをいれてくれたりする。そういうことがさりげなく自然に、当然のようにできるのはひとつの美点である。なかには一切何もしようとしない、オヤジのような女の子だっているのだ。そういうのに限ってベッドでのマナーも最低で、相手から与えられるものをマグロ状態でただ貪ることしかできないのが多い。あげくの果てに、やっぱり男のほうがいいなどと言ってのけるのもいて、たちまち興ざめしてしまう。

あるある、ありすぎる(笑)。「女同士だからよりいっそうわかりあえるの……♥」なんて、ノンケの幻想でしかありえませんからね。中山可穂さんの小説というとやたらと同性同士の官能部分にばかり注目する人が多いような気がしますが、(実際、今手元にある文庫本数冊の裏表紙の内容紹介を見ても、『スキャンダラス』とか『禁断の』なんて文字が躍ってます)、いちレズビアンとして言わせてもらうと、そういう読み方はいささか浅いのではないかと。セックス云々より、むしろこうした名文句がそこらじゅうに詰まっていることの方が、中山作品のレズビアン小説としての濃さ・おもしろさを高めていると思います。

まとめ

ひとことで言うと「古い酒は新しい革袋に入れても全然美味しくいただけます」という小説ですね。響子の選んだ道は新奇に見えるかもしれないけれど、彼女がそれによって得たものは古代からの脈々とした連続の一端であり、だからこそこうまで胸を打つのでは。結末に至るまでの細部描写も鮮烈で、楽しく読めました。