石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

フジテレビが今さら「保毛尾田保毛男」を復活させる。抗議を受け社長が「謝罪」

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2017年9月28日、フジテレビがバラエティ番組の30周年記念番組に28年前のキャラ「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」を出し、「ホモ」をネタに共演者と話す場面を放送しました。差別や偏見を助長するとの批判に対し、社長が声明を出しています。

詳細は以下。(Yahoo!ニュースやNHKニュースの記事は時間がたてば消されてしまうでしょうから、読むならお早めに)

具体的な放送内容や、何が問題とされどのような批判が起こっているのか、そしてフジ社長からは今のところ「もし~なら、謝罪する(if apology)」というパターンの『謝らない謝罪』(参考)しか出ていないという状況などについて、ここではいちいち説明しません。どうぞ上のリンク先をお読みになってください。

以下、単なるいちレズビアンとしての個人的な感想です。

自分がこの件に関して真っ先に思ったのは、「前から思ってたけど、日本ではいわゆる『ホモネタ』に対して、中島らも氏が『こらっ』(集英社)で書いていたところの『口あけ現象』が続いているのではないか」ということでした。「口あけ現象」とは何か。それは、劇団「リリパット・アーミー」でナンセンスギャグ芝居をやっていたらもさんが直面した、「最初から笑う気で来ている客が口をあけて待ち構えていて、無定見に何にでも笑う」という現象のことです。

らもさんが初めて東京にリリパット・アーミーを持って行ったときには、観客がギャグの質を読んでから初めて笑いの波が来るという手ごたえがあったのだそうです。ところが公演を重ねるごとに、観客が「最初から笑う用意をした状態で芝居の始まるのを待って」いて、ギャグの質や内容とは関係なく何を見てもけたたましく大笑いするようになってしまったとのこと。これはギャグを主体とする劇団には例外なく起こることで、ラジカルガジベリビンバ・システムの公演でも同様の現象を目撃したとらもさんは書いています。

この「底なし沼のような」空疎な反応に悩んだらもさんは、観客のあきっ放しの口をふさぐべく『こどもの一生』というホラー芝居を上演しました。「山田のおじさん」なる不気味な人殺しが登場する、前半はギャグ調で後半は血も凍るホラーという構成のお話です。これで大部分のお客さんは「あいた口」をふさいでくれたものの――驚いたことに、さすがに全員ではないにしろ、ホラーな展開にさえもずっと笑い続けている人というのがいたんだそうです。以下、『こらっ』kindle版の位置No. 1776-1784 / 2909より引用。

「山田のおじさん」がだんだん人殺しの本性を出して、子供たちを殺していく。ここまでくると、さすがにシーンとなって、悲鳴もちらほら出始めた。

ところが、一部だが、ずっと笑っている女性が何人かいたのである。

彼女たちこそ「口あけ現象」の極めつけたる存在なのだろう。つまり、目の前で何が起こっているのかが理解できないのである。笑うという慣性に乗って一度口をあけてしまうと、途中で軌道を変えることができないのだ。

テレビ局であれば、ディレクターが手をぐるぐる回せば「笑え」の合図だ。しかし、芝居にはそんな人間は存在しない。だからどうしていいかわからないのである。どうしていいかわからないから、あいまいに笑っているのである。

前置きが長くなりましたが、この2017年の今でも「保毛尾田保毛男」を見て昔と変わらず笑えるというのは、「ホモ」という記号を見たらとにかく笑うという慣性に乗っかったままここまで来てしまった人たちの「口あけ現象」だと思うんですよ。これは別に「保毛尾田保毛男」ネタに限った話ではありません。ネットでゲイ向けのアダルトビデオ/漫画発祥のスラングを目にした途端パブロフの犬のごとき条件反射でニヤニヤし始めたり、他の人も同様に笑ってくれるものだと期待して自らそうしたスラングを使ってみたりするのも、根は同じです。「ホモ」なる概念に接したとたん、一も二もなく脳内でディレクターが手をぶんぶん回して「笑え」と合図し始めるのでしょう、そういう人の無意識下では。

梅干しを見て唾液が出るのが当人の意志とは関係ないのと同じで、いわゆる「ホモネタ」に接したとたんに笑いのスイッチが入るというのも、おそらく当人が意識的に身に着けた習慣ではないケースがほとんどなのだろうと思います。おおかた、周囲に「あの人、コレなんじゃない?」と片手の甲を反対側の頬に当てながらニヤニヤしてみせる人がいたり、メディアの中で(保毛尾田保毛男に限らず)「男性が好きな男性=みんなが笑う滑稽なネタ」として扱われているのを見聞きしたり、そうした表現にはしゃいで笑ってみせる人に囲まれていたりしたせいで、「こういう表象にはそういう反応を返すものだ」という学習がなされてしまったというパターンなのでは。「保毛尾田保毛男」は、社会からのそのような刷り込みの「結果」として生まれたキャラクタであると同時に、それを見た人たちに引き続き「『ホモ』は笑いの合図」という概念を再生産させる「原因」にもなっていると、自分は思っています。

問題なのは、その悪循環からの軌道修正が、(ゼロではないにしろ)まだまだ進んでいないこと。そして、軌道修正を拒否するためにさらなる差別の扇動や同性愛者叩き(またはLGBT叩き)にいそしむ人が少なからず見受けられることです。正直、保毛尾田保毛男の復活そのものより、こっちの方がよっぽどショッキングだったわ。

インターネットでは少なくとも90年代から、マスコミによって同性愛者のイメージが極端に歪められてしまっていることが批判され始めています。そして、SNSにより個人の発信が容易になったこの2010年代では、そうした偏ったイメージを流布されることでどんな実害を被ったかについて、当事者の意見が以前より簡単に見つけられるようになりました。実際、今回の「保毛尾田保毛男」の件でも、子供の頃にこのキャラが原因で「顔では笑いながら心の中ではホモであることが周りにバレたらどうしようと震えていた」、「当時も全然笑えなかった。言ったらいじめられると思っていた」「年上のゲイの知人は、自身のセクシュアリティに悩んでいたとき、最初に見た同性愛のキャラクターが保毛尾田保毛男で絶望したと言っていた」などの声が見られたと報道されています。こうした状況を背景に、「あの頃は笑ってたけど、よくないことだった」と、「口を閉じ」てくれた人もたくさんいる……んですけど、それでもやはり、「どうしていいかわからないから」、そして「何が起こっているかわからないから」、28年前同様にただ笑い続けているという人も同じくらいたくさんいるという印象を自分は受けました。それだけならまだしも、今なお保毛尾田ネタで笑っている(そして今後も何も考えずに笑い続けたい)自分を正当化するために差別的な詭弁を弄し始める人が少なくないことが、問題をさらに厄介なものにしていると思います。

以下、ここ2日ほどで実際に見かけた詭弁の一部(の要約)です。カッコ内はみやきちによるツッコミ。

  • 「たかがテレビのキャラに影響力などない」(当ブログのこちらの記事をごらんください。→スーパーガール(のアレックス)、またしても少女を助ける。しかも、現実世界で - 石壁に百合の花咲く
  • 「笑って流せないなら見るな」(ならば、あなたがまず保毛尾田保毛男への批判を笑って流せばいいのでは)
  • 「同性愛を認めたら種の保存にとって害になる」(同性愛行動は人間以外の450種以上の動物で観察されていますが、それが原因で種が滅んだ例はひとつも発見されていません。参考:『Biological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural Diversity』(Bruce Bagemihl, St. Martin's Press)感想 - 石壁に百合の花咲く
  • 「保毛尾田保毛男に怒ることをLGBTの総意とすることは個人の自由の無視」(典型的な藁人形叩き。これがLGBTの総意だとか、または総意とすべきだとか言っている人が本当にいるのなら、ぜひ屏風から出してみてくださいな)
  • 「保毛尾田保毛男を出すなと言ったらオネエキャラの仕事がなくなる」(なぜ? 日本よりよっぽど差別的表現に厳しい米国で『ル・ポールのドラァグ・レース』があれだけ大人気で、賞もたくさん取っていて、ゲイの視聴者からも『この番組に命を救われた』とまで言われているのに、何をどうすればそんなことが?)
  • 「保毛尾田保毛男最高、ゲイの人は本当凄い才能の人多い」(いや、そもそも石橋貴明ってゲイでしたっけ? 今批判されていることのひとつは、『ゲイでない、または少なくともゲイとしてカミングアウトしてはいない人がゲイを醜悪に戯画化したキャラを演じて笑いをとること』です。それから、たとえ褒めているつもりでも『ゲイの人』をひとくくりにしてステレオタイプで判断することは差別)
  • 「子供が保毛尾田保毛男を見てゲイ差別をするというのは子供に対する偏見」(実際に子供時代に周りから保毛尾田保毛男と呼ばれて絶望したと書いているゲイの方がいるのに? そう呼ぶ側にとっては『みんなで楽しい笑いを共有している』という認識でも、やられた側にとっては差別ですよ)
  • 「ブスやデブやチビが笑われるのはいいのに、ゲイだけ特別扱いか」(人の容姿を笑うのはルッキズム(lookism)、肥満者を笑うのはファット・シェイミング(fat shaming)、背の低い人を笑うのはハイティズム(heightism)と言って、現代では全部問題視されています。あなたが知らないか、知ろうとしていないだけ。それにだいたい、ある差別に抗議するためには他の全ての差別にも抗議しなければならないなんて決まりはありません)
  • 「『真夏の夜の淫夢』ネタは批判しないのにこれだけ批判するのか」(『真夏の~』ネタも以前から批判されています。あなたが知らないか、知ろうとしていないだけ。それにだいたい、ある差別に抗議するためには他の全ての差別にも抗議しなければならないなんて決まりはありません)
  • 「ゲイが自分をネタにして笑い飛ばせば差別はなくなる」(いいえ、それでは自分の性的指向をネタにしてウケを取らない/取れない/取りたくない同性愛者が『ノリが悪い』として排除されるようになるだけです。第一、なぜ同性愛者だけがセクシュアリティというプライベートなことをエンタメ化するよう要求されなきゃいけないのか?)
  • 「同性愛者は、同性愛者を少しでも悪く表現すると差別だと騒ぎ出す」(へ? 『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』のピスカテラというゲイキャラはおそろしく残忍な悪役として描かれてますが、ピスカテラ役のブラッド・ウィリアム・ヘンケは道端でゲイのファンから感謝されてると言ってますよ?)
  • 「保毛尾田保毛男の表現がダメならもうLGBTは腫れもの扱いされて、テレビに出せなくなる/面白い番組が作れなくなる」(そんなの、LGBTの人々を侮辱的なステレオタイプでしか描けない無能な作り手だけの話でしょ。『glee』も『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』も『ふたりは友達? ウィル&グレイス』も『グレイズ・アナトミー』も『殺人を無罪にする方法』も『ワンデイ 家族のうた』も『トランスペアレント』も『フォスター家の事情』も『スーパ―ガール』も『Doubt』も『プリーズ・ライク・ミー』も『スティーブン・ユニバース』も『ドックはおもちゃドクター』も『マスター・オブ・ゼロ』も『ブラック・ミラー』も『オーファン・ブラック』も『グレイス・アンド・フランキー』も『Queer as Folk』も『The Handmaid's Tale』も『クレイジー・エックス・ガールフレンド』も『Sense8』も『Younger』も『ジェーン・ザ・バージン』も『アンブレイカブル・キミー・シュミット』もやれていることができないというのは、要するに局やクリエイターが勉強不足で、古臭い『口あけ現象』に頼ることしかできないってことでは?)

書いてるうちに比喩ではなしに胃が痛くなってきたので、とりあえずこのへんでやめます。「ホモネタ」を目にしたらすかさず笑う態勢に入るという条件づけがゆるぎなく完成している方々の想像以上に、当事者にはダメージがあるんですよ、こういうの。少なくとも、今こうやってツッコミを書いているだけで物理的に胃が痛くなるぐらいには。いくらこの「口あけ現象」が社会全体から無意識のうちにインストールされたものだとしても、哄笑をやめないために後付けの理屈で同性愛者の苦悩や怒りや、ノン・ゲイからの批判を圧殺しようとするのは、もはや主体的かつ積極的な加害行為に相当すると自分は思います。もうお腹いっぱいなんですよ、そういうの。どうしても前世紀の感覚をアップデートできず「口あけ現象」がやめられないのなら、せめてテレビの前でひとりで笑ってるだけにしてよ。その笑いを言い訳で飾り立てて、差別の構造を存続させようとすんな。ああ胃が痛い。

こらっ (集英社文庫)

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