石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。

FIFA、W杯メキシコサポーターのアンチゲイなチャントを調査

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サッカーW杯が開かれているロシアでメキシコのファンたちがアンチゲイなチャントをしたとする報告を受け、FIFAが調査を開始しています。

詳細は以下。

FIFA looking into Mexico supporter anti-gay chants during Germany match

問題のチャントは、2018年6月17日にモスクワで開催されたドイツ対メキシコ戦で聞かれたもの。メキシコのファンたちは試合中、ドイツのゴールキーパーのキック時に"puto"(『男娼』『ホモ』の意)と連呼していたと言われています。彼らはまた、メキシコが1-0で勝利をおさめたのち、こんなことを唱和していたと報告されています。

「ジャンプしないやつはチリのオカマ野郎だ」

“El que no salta es un chileno maricón”

動画はこちら。

FIFAはこれらのチャントについて「さまざまな試合レポートと潜在的な証拠を集めている」とし、すべての情報が集まるまではこれ以上コメントできないと言っているとのこと。

こういうチャントについて「別にゲイに向かって言っているわけじゃないんだからいいじゃないか」とか「ただの慣用的な言い回しなんだからいいじゃないか」と思う人もいるかもしれません。でも、問題はそういうことではないと思います。

まず、たいていの同性愛者にとっては、セクシュアリティと特に関係ないはずの場でまでいきなり自分(たち)が「悪いこと、みっともないこと、恥ずかしいこと、嘲笑すべきこと」の代名詞として持ち出されるのを見るのは歓迎できることではありません。別にサッカーだけじゃないんですよ、こういうの。好きなノンフィクション本が好きな翻訳者さんの訳で出版されるらしいからうれしいなと思ってたところに、帯に本の内容とは矛盾する「レズの誘惑」を売りにした煽り言葉をどーんと載せられちゃった(この後、帯は訂正・修正され、帯込みの書影も変更されましたが)、なんてのも、本質的にはこれと同じことだと思います。「なんでこんなところで?」と思ってしまうような場所で、突然「同性愛者を『自分たちとは違う悪いもの』扱いしてキャッキャとはしゃぐヘテロの図」を突きつけられるのはダメージがでかいです。ヘテロにとっては「(ゲイがいないはずのところで)身内の結束を高める楽しいおふざけ」でも、こちらにとっては自尊感情をいちいち削られることなんです。

それからもうひとつ問題なのは、この手の「同性愛者を『自分たちとは違う悪いもの』扱いしてキャッキャとはしゃぐ」行為が、その場にいる人に暗に共犯関係を求めるものだということ。ホモフォビックなチャントやニヤニヤ笑いに加わらなければ、よくて「ノリが悪いやつ」、悪くて「なんだお前、『ホモ』/『レズ』かよ!?」ということになるという状況では、たとえ自分自身は同性愛(者)に何ら悪感情をもっていなくても、かたちだけでも周囲に合わせてやりすごすという人は少なくないでしょう。ここで非常にまずいのが、人間には自分の信念と行動が矛盾しているとき(つまり、認知的不協和があるとき)、信念の方を行動と一致するように変える傾向があるということ。S・アイエンガーは『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』(文春文庫)の中で以下のような例(p. 148)を挙げています。

人は認知的不協和を回避して、自分自身についてつじつまの合う物語を生み出す必要から、もともとは意に反して取り入れた価値観や考え方を肯定し、自分の価値体系の中に組み入れることがある。一例として、自分の個人的信念に反する意見、たとえば自分が反対する増税を支持する作文を書かされると、次第に自分が主張したその意見に賛成するようになることが、数々の研究により報告されている。

なぜ行動ではなく信念の方を修正するのかというと、人間には時間を巻き戻して「作文を書いた」という過去の行動を変えることはできないから。ということは、いくら「差別の意図」などないつもりでも、周囲と一緒に飛び跳ねながら"¡Puto! ¡Puto!"と叫ぶという行動をとるだけで、その後その人の信念がホモフォビックな方向に傾いていくということは十二分にあり得ると思います。というか、巷にはびこるホモフォビアは、こういう風にして幼少時から「まず周囲の行動をまね、それに合わせて信念をホモフォビックなものにしていく」ということが繰り返された結果維持されているものなんじゃないでしょうか。FIFAには今回の件を徹底的に調査してほしいし、厳しいペナルティを課すことも検討してほしいと思います。