石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

文庫版『花宵道中』(宮木あや子、新潮社)感想

花宵道中 (新潮文庫)

花宵道中 (新潮文庫)

短篇「大門切手」と解説がよかった

江戸時代の遊郭「山田屋」が舞台の小説の文庫版です。単行本未収録短篇「大門切手」と、嶽本野ばらさんによる解説がことのほか面白かったです。

「大門切手」について

山田屋の女将・勝野と、髪結いの弥吉じいさんの過去話。せっつねえー。

「……川の向こうに行くだけ」

という勝野(当時は『お勝ちゃん』)の台詞(p. 340)が深くてたまらんです。この「川」、字義通りに取れば隅田川のことなんですが、実は遊女が一生越えられないお歯黒どぶの水でもあり、大げさに言うなら、この世とあの世をわかつステュクスだの三途の川だの、あるいはドラキュラが絶対にまたげない流れる水だののごとき「侵犯あたわざる境界線」の象徴ですよね、これ。この絶対的な境界線をご都合主義によって越えさせるのではなく、切なさや絶望をじっくりと描いた上で、意外な方向からささやかに希望を提示してみせるという流れがしみじみとよかったです。

そう言えば、「水」を越えるか越えないかという話なのに、少しも無駄な湿っぽさがないところも面白いなあ。これは花宵収録作全部に共通して言えることですが、胸を抉る痛みは描いても、そこで余計なメロドラマになだれこまない潔癖さというか、清々しさがあるんですよね。

最後の最後で、懐かしいあのキャラクタが駆け込んできたりして、一冊全体の時間軸がかっちりとつながっていくところもよかった。この長いスパンでの時間の使い方は、同作者さんの『泥ぞつもりて』に通じるものがあるような気がします。ちなみに駆け込んでくるこのキャラ、現在「女性セブン」で連載中のコミック版『花宵道中』でもいい味出してるので(あの表情が生き生きしてて好き)、単行本が早く出ないかと思っているところです。

解説について

書き出しのつかみがすごいです。

宮木あや子は僕のファンである。――と聞かされてはいたものの、まぁ、フェイバリットな現代作家を幾つか挙げろといわれて思い付く中に入る程度と思い込んでいたのですが、なんと、わざわざ書店で普通に整理券を貰い、サイン会の列に並んでくれていました。作家が作家のサイン会にくるなぞ前代未聞の珍事であり、僕の脇に付いていた編集者も目を疑い「宮木さん、何をしにきてるのですか?」、訝ると、宮木あや子は当然のように「ファンなので」と返します。サイン本を受け取った彼女に編集者はいいました。「……あの、来て貰うのは結構なんですが、今月の原稿、締め切り過ぎてるんですけど」。すると宮木あや子は「ううぅ」、口籠り、脱兎のごとく逃げ帰っていきました。

何やってんですかあや子さん(笑)。いや、たぶんというかもちろん、このくだりには嶽本野ばらさんならではの誇張表現もしっかりと含まれているのでしょうけれども、面白すぎます。この部分以外も、「文章がうまい人が文章がうまい人を評するとこうなるのか……!」という、痒いところに手が届く面白さで、とても楽しく読みました。ちなみに最後のワンセンテンスがとにかく強烈なので、そこから読むとショックを受けますが、最初から通して読むと「なるほど」と腑に落ちる構造になっています。宮木ファンならば、ぜひご一読を。

まとめ

面白かったし、買ってよかったです。これから通してもっぺん全話読んできます。