石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『マラケシュ心中』(中山可穂、講談社)感想

マラケシュ心中 (講談社文庫)

マラケシュ心中 (講談社文庫)

ずるいほど完成された「心中」物

女流歌人とその恩師の妻との、複雑に絡み合う運命を描く恋愛小説。「心中」というテーマをかかえた、熱くて残酷で官能的なお話です。ずるいほど完成されたエンディングには、ただため息が出るばかりでした。少女漫画のような一見華やかな設定の下に重厚な物語が隠れているという、いつもの中山節も健在です。

誤解を恐れずに言うなら、中山可穂さんの小説って、いつもどこかに浮き世離れしたキラキラ設定があると思うんですよ。中性的美貌のモテモテレズビアン演出家とか、将来を嘱望されたピアニストとか、「ジャン・ジュネの再来と呼ばれる」新進小説家とか。二丁目の街角で歌うだけで女の子がコロリと落ちるストリート・ミュージシャンとか。つまり、同じレズビアン小説でも、たとえば橋本治さんの、頭を角刈りにした中年トラック運転手レズビアンが活躍する短編「愛の矢車草」などとは対極をなすような位置にあるんですね。

この『マラケシュ心中』にも、やはり同じ傾向が見られます。主人公は気鋭の歌人、例によってエロゲー主人公もびっくりなほど女にモテモテ。おまけに名前が「緒川絢彦」。小川絢子でええやん。それになんでマラケシュ、松田聖子も歌ったマラケシュ、曾根崎でも品川でもええやん別に。……と思わされてしまうんですよ、最初だけは。そしてもちろん、読めば読むほど納得させられてしまうという中山マジックの前に、今回もしっかり完敗いたしました。絢彦の名前が重要な伏線になっているところといい、マラケシュの熱気と猥雑さがお話の背骨にまでがっちり食い込んでいるところ(とくに、クライマックス!)といい、いつもながらみごとなお手並み。思えばこの鮮やかな手際が楽しみたいからこそ、あたしはこの作家さんの小説を読み続けているのかも。

今回もうひとつ際立っていたのは、女性同士の性愛の部分。濃密さやエロティックさもさることながら、男女の交わりではどうあがいても代替不可能な世界を描き切っているところがよかった。たとえば、絢彦とセックス恐怖症のヒロイン・泉との、枯れたひまわり畑での偶発的なセックス(p. 211)とか。はたまた、絢彦が見つけた性感帯を愛撫されて泉が上げる「スタッカートのようなみじかい声」(p. 268)の場面とか。もしくは、ノンケのはずの泉みずから絢彦を抱くことに夢中になっていくところ(p. 251)とか。どれもこれも、棒と穴の結合以外を「前戯」と位置づけてしまうヘテロ的価値観では永遠にたどりつけない境地かと。

終盤から結末までの、意表をつく展開もみごとでした。思うにこれは、心中物でありながら、「この世もなごり世もなごり」というより「さりとても恋はくせもの」という形容の方がぴったりくるお話なのではないかと。本当に、まさか、こう来るとは。まさしくくせもの。最後までまったく油断できないストーリーで、特に最終章は息をするのも忘れそうな勢いで一気に読み進んでしまいました。

まとめ

華やかな設定とはうらはらにずしりと重たく熱く、最後の最後までくせものな恋愛小説。官能描写も、意外性に富む結末も必見。女同士の心中物というとそれだけで敬遠したくなるレズビアン読者もいそうですが、「騙されたと思って読んでみ」と言いたいです。