石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

30日間で4人のレズビアン/バイセクシュアルのキャラが殺される。米TVの陳腐な「ゲイを葬れ」パターンに抗議多発

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米国で放送中のTVドラマで、この30日間だけで4人ものレズビアンとバイセクシュアル女性の登場人物が殺されました。これを機に、米TV界の「ゲイを葬れ」(Bury Your Gays)という陳腐なパターンに対する抗議が巻き起こっています。

詳細は以下。

Bury Your Gays: Why 'The 100,' 'Walking Dead' Deaths Are Problematic (Guest Column) - Hollywood Reporter

ネタバレ回避のため、該当のドラマシリーズの題名はここでは伏せておきます。とにかく、2016年2月下旬から3月下旬にかけて放映された別々のドラマ4本で、それぞれ1人ずつ、レズビアンまたはバイセクシュアル女性のキャラクタが殺されたんです。

この事態に怒ったLGBTのファンたちはハッシュタグ#lgbtfansdeservebetter(LGBTファンは現状に甘んじてはならない)で抗議を表明しています。BBC Newsによれば、このタグは28万回以上ツイートされたそうです。

え、「たった4人死んだだけでなぜ抗議するのか。異性愛者のキャラだって死ぬじゃないか」って? いやいや、これは比率の問題なんです。Autostraddleによれば、これまで米TVドラマの中で殺された(撃ち殺されたり、首をはねられたり、絞首刑にされたり、自殺したり、トラックにひかれたり、病死したり、階段から突き落とされたりした)レズビアンやバイセクシュアルのキャラクタが147人いる一方で、幸せな結末を迎えたレズビアン/バイセクシュアルのカップルはわずか18組しかいないんだそうですよ。つまり、業界全体で熱心に「レズビアン/バイセクシュアル女性は幸せになれない」と喧伝しているも当然で、こうした傾向は以前から「死せるレズビアン症候群」(Dead Lesbian Syndrome)、「同性愛者を葬れ」(Bury Your Gays)などと呼ばれて批判の的となっています。にもかかわらず1ヶ月でまた4人も殺されたため、ファンたちは怒っているわけ。

BBC Newsで紹介されているツイートをひとつ紹介しておきます。

訳:「LGBTファンは現状に甘んじてはならない、なぜなら、しばらくすると、自分たちが死んだり決してハッピーエンディングを迎えなかったりするのを見るのが辛くなってくるから」。

この辛さの説明については、Hollywood Reporterの記事でのドロシー・スナーカー(Dorothy Snarker)さんの以下の記述がまったく当を得ていると思います。

LGBTの視聴者は、自分たちの姿が反映されたハッピーエンディングを見たいと切望している。当たり前のことだが、十分に表現されていない集団にとっては、つまり有色人種から障害者、LGBTの人々に至るまで、わたしたちの文化の中で肯定的な表現を拒否されている人々にとっては、自分たちのハッピーエンディングを想像するのは大変なことなのだ。死や悲しみや絶望が物語の主要素を占めてしまうと、特に若い視聴者には、それが予言の自己成就のように見えてしまいかねないのである。

LGBT viewers long to see their own happy endings reflected back to them. Underrepresented groups — from people of color to people with disabilities to LGBT people — who are denied that kind of positive representation in our shared culture naturally have a harder time imagining it for their own lives. When death, sadness and despair are the predominant stories we're told, particularly for younger viewers, it can seem like a self-fulfilling prophecy.

LGBTファンたちは今回、SNSでの抗議だけにとどまらず、LGBT Fans Deserve Betterwedeservedbetter.comなどのWebサイトを設立し、LGBTユースの自殺防止プロジェクト「トレバー・プロジェクト」(Trevor Project)への募金を呼びかけるということもしています。募金には既に6万ドル以上が寄せられており、この問題への感心の高さがうかがえます。今生きているLGBTの大人たちは大概「同性愛者を葬れ」(Bury Your Gays)クリシェに自尊心を削られながらやっとこ生き延びてきた経験があるから、他人事じゃないんですよこういうの。

TVの話とは多少ずれますが、なぜあたしが映画『キャロル』を初めて見たときの感想が「誰も死なない(!)」だったのか、少しはおわかりいただけますでしょうか。映画界でも状況はTVとほとんど変わらず、基本的に女性を愛する女性は死んだり悲惨な結末を迎えたりして当然の存在として描かれ続けてきたからですよ。テケトーにエロ要素を提供した後、いわゆる"shock value"(衝撃的な要素)としてばんばん殺される、使い捨ての駒。そういうまるで「おまえたちは幸せになれない」という呪いでもこめられたかのようなフィクションを見るたびに、あたしゃいつだって野田知佑さんがかつてエッセイ*1の中で触れていた、カナダのインディアン(アメリカ先住民)・ルイズのこの話を思い出してきたんですよ。

ルイズは昔、初めて町で西部劇を観た日のことが忘れられない。

「あれは確か、ジョン・ウェインの映画だったと思うけど、インディアンが射たれて馬から落ちる度に、ワーッと拍手が起きるの。わたし、どうしていいか判らなくて、オロオロしていた」

結局これと同じで、要するに女性を愛する女性キャラが死んだり不幸になったりするたびに「ワーッと拍手」している人たちが今でもいるわけです。その拍手が誰を殺しているのか、知りもせずにね。フィクション内でのインディアンの描写は、その後マーロン・ブランドの抗議などもあって随分改善されましたが、クィア女性の描写についてはまだまだ。抗議の手をゆるめてはならないと思います。

*1:野田知佑. (1987). 『北極海へ あめんぼ号マッケンジーを下る』. p. 157. 東京: 文藝春秋.