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石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

キャロルとテレーズ、先に恋に落ちたのはどっち? ―映画『キャロル』6~7回目鑑賞後の感想(ネタバレあり)

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※初回~5回目鑑賞後の感想はこちら:

  1. 誰も死なない(!)極上のラブロマンス― 映画『キャロル』感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
  2. 変化する人、しない人、そしてテーマの普遍性―映画『キャロル』2回目鑑賞後の感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
  3. そろそろ官能の話もしようか―映画『キャロル』3回目鑑賞後の感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
  4. あのウインクを見逃すな―映画『キャロル』4回目鑑賞後の感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
  5. ぶっちゃけあのベッドシーンはレズビアンから見てどうなのか―映画『キャロル』5回目鑑賞後の感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く

7回見ての感想まとめ、ツッコミ、そして補遺など

映画館で6回目、そして米iTunes Storeからの作品購入で7回目の鑑賞を終えました。以下、(1)現時点での『キャロル』観、(2)巷で見かけた「テレーズの方が先に恋に落ちた説」&「キャロルはバイセクシュアル説」への意見、(3)補遺など。

7回観た上での『キャロル』観:「とことんかわいらしい映画」

初回鑑賞時の、「誰も死なない(!)極上のラブロマンス」という評価は今もなお変わりません。その上で、もし今この映画を別のことばでとらえるなら、「とことんかわいらしい映画」となります。ええ、かわいいんです。サスペンスに満ちた繊細な心理劇でありながら、いざ全体像がつかめてしまうと、かわいくてしょうがないんですよキャラもストーリーも。

まずテレーズ。キャロルに見とれるたびに微妙にアヒル口になってしまうところ(ベッドシーンでさえ微妙にアヒル口になってしまっているあたりに注目)も、うぶなようでいて要所要所で積極的にキャロルにアプローチしていくところも、終盤で一生懸命キャロルをつっぱねながらもついつい過換気になって好き好きオーラを発してしまうあたりも、みんなみんなかわいいです。キャロルはキャロルで、強気なようでいてテレーズに誘いをもちかけるときにはどうしても緊張が隠し切れなくなってしまう(顎や口元の動き、"Would you?"の口調に注目)ところも、一瞬のウインクや敬礼も、旅先でリラックスしてはしゃぐ姿も、勇気をふりしぼって大きな決断をするところも、やはりとてつもなくかわいいんです。このふたりを眺めているだけでごはんが3杯いけるわ。脳からα波とか麻薬物質とか出てるわ絶対。

そしてストーリーもまた、見れば見るほど愚直なほどにまっすぐな恋愛物語であるということがよくわかります。画面こそ壮絶に美しいけれどマニアックな耽美映画ではなく、銃も出てくるスリリング展開でありつつクライム・サスペンスではなく、女性同士の恋を扱ってはいてもお涙頂戴でもポルノでもなく、話の本質は常に、どこまでもかわいらしいシンプルな恋愛映画なんです。なんちゅうもんを作ってくれたんや、ハイスミス/ヘインズ/ナジー/ブランシェット/マーラ(その他たくさんの方々)さん……!

映画、小説、漫画など、あらゆるフィクションのレズビアンものをさんざん見てきた自分ですが、この作品に関しては同じ箱に入るものがひとつもみつかりません。ストーリーもキャラクタも、ベリベット姓と同じぐらいオリジナル。そろそろ日本での公開も終わりに近づくかと思いますが、これを6回も映画館の大スクリーンで楽しむことができた自分はつくづく果報者だと思います。

巷の説への反論あれこれ

「テレーズの方が先に恋に落ちた」?

ビューワー様からいただいた情報で初めて知ったのですが、『キャロル』に関して「テレーズの方が先に恋に落ちた」とする解釈も巷にはあるのだそうで。えええええそれはありえないでしょう! と即座に思ったのですが、念には念を入れて、6回目と7回目の鑑賞ではふたりの出逢いのプロセスをことさら念入りに観察してみました。結果として「やはりどう見ても双方同時に恋に落ちている」と確信を抱くに至りました。根拠はキャロルの視線と、電話や「手袋ランチ」での発言です。

まず、百貨店で初めてふたりの視線が合ったときの映像を思い出してくださいな。ここでテレーズは一瞬でキャロルに魅了されて目を見開き、呼吸も速くなってしまうのですが、キャロルの視線もまたテレーズに釘付けになっています。この場面をもとに作られたポスターが、こちら。

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どう見ても電撃的な同時一目惚れでしょうこれは!! ついでに言うとこの瞬間は、映画のファイナル・イメージと対をなしてもいます。要するに『キャロル』は視線の絡みで始まった恋が視線の絡みで完成するという物語なわけで、その点から言ってもこの瞬間に恋に落ちたのがテレーズだけだとは考えづらいと思うんです。

これだけでは根拠として弱いとお考えの方は、小説版の帯にも使われている、カウンターでの会話シーンの一コマをどうぞ。

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こちらを見ればわかる通り、カウンターでの会話中も、キャロルはテレーズにあの炎のような視線を注ぎっぱなしです。テレーズの受け答えが気に入ったキャロルはますます嬉しそうにテレーズを見つめ、テレーズはテレーズでキャロルに見とれ続けているので、ふたりはしまいに見つめ合ったまま一瞬沈黙してしまいます。ほら、キャロルが"That's that. Sold."(『決まりね 買うわ』)と言った直後の、あの間のところね。

キャロルがこの直後、七面鳥の話でふと自分の結婚生活の行き詰まりをほのめかしてしまうのは、ここのテレーズのベタ惚れそのものの表情を見て、心理的距離がさらに縮まったから。買い物を終えて立ち去るキャロルが振り返っていたずらっぽく言う"I like the hat."(『帽子 かわいいわ』)には、実は半分かそれ以上"I like you."の意味がこめられているはず。

ちなみに原作小説では、百貨店で初めて目と目が合った瞬間にキャロルが「魅了されたような表情」を浮かべていたこと、「ふたりのあいだには何人もの店員がいたが、きっと自分のところに来るとテレーズは信じて疑わなかった」ことなどがはっきり書かれています。映画を観てから原作を読んで、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラは表情だけで完璧にこれを表現していたのだと自分は思いました。

次に、電話と手袋ランチでの会話について。フランケンバーグに電話をかけたキャロルが"So, it was you."(『あなただったのね』)というときのあの嬉しそうな(そして艶っぽい)イントネーションや、「スキー売り場の男の人だったらランチに誘っていなかった」という説明、そしてあのランチ中の挑むような瞳の輝きからして、キャロルがテレーズをランチに誘った目的が手袋のお礼だけではないことは明白。どう見ても最初っから口説く気まんまんでしょう、この人。だいたいこのランチ時のふたりの会話自体、どこを切っても

  • キャロル「わたし女が好きであなたに興味あるんだけど、デートしない?」
  • テレーズ「ばっちこーい!」

という暗黙のメッセージに充ち満ちていますし、ここであれだけ全力で誘惑にいそしむキャロルが最初の出会いでテレーズに恋していなかったとは考えられません。特に見逃せないのは、テレーズがキャロルの家に遊びに行くことに同意したとき、キャロルがつぶやくこの台詞。

"What a strange girl you are."(『あなたは不思議な人』)

"Flung out of space."(『天から降ってあらわれた』)

なにがどう「不思議」で「天から降ってあらわれた」のか、わかります? 石を投げればヘテロに当たる環境で暮らしている異性愛者とは違い、女性が好きな女性にとっては日常生活の中で愛せる人に偶然出会えるのは限りなく奇跡に近いってことですよこれは。同性愛が「病気」かつ「犯罪」とされていた50年代ならば、なおさらです。アビーとの恋が終わり、「二度目はないと思っていた」(小説p. 292)ところに突然降って湧いたようにテレーズが現れ、しかも互いに惹かれ合っていると確信できたことで、彼女は強い喜びと戸惑いを同時に感じているんです。以上のようなわけで、出会った瞬間にふたりとも恋に落ち、手袋ランチでそれを確認したのだというのが自分の見解です。

「キャロルはバイセクシュアル」?

個人ブログやSNSではなく、日本のどこぞのネットメディア(URLは失念)がこの映画の紹介文でキャロルを「バイセクシュアル」と称しているのを見てしまいまして。いやいやいやそれもなんか違うでしょう! 隅から隅まで7回鑑賞しても、キャロルが男性をも恋愛対象としていると判断できるような手がかりはどこにも見つけられませんでしたよ、少なくとも自分には。見つかるのは、むしろそれとは逆方向を向いている手がかりばかり。

ハージがアビーにあんなに嫉妬するのは、キャロルからの愛という点で彼が決してアビーに勝てない(勝てなかった)からです。実際原作でも、キャロルはアビーに対してハージには一度も抱いたことのないほどの愛を抱いていたとする描写があります。また、キャロルがテレーズに手袋の送り主が男性ではなかったことが嬉しいと告げているところや、そもそも原作者のパトリシア・ハイスミスがあとがきでこの作品を「レズビアンの恋愛を扱った小説」と呼んでいるところからしても、キャロルにいきなり「バイセクシュアル」のレッテルを貼るのは相当無理があるのではないかと。

愚考するに、「キャロルはバイセクシュアル」説は、「ハージと結婚して子までなしたのだから、男もいけるのだろう」という発想に由来するのではないでしょうか。しかし、異性との結婚は、必ずしも性的指向の対象に異性が含まれるということを意味しません。今よりもさらに異性愛規範や結婚圧力が強く、マッカーシズムによって毎月何十人ものゲイやレズビアンが連邦政府を解雇されていた50年代ならば、なおさらです。百歩譲って、キャロルが自分で自分の性的指向にレッテルを貼っている様子はないとまでは言えると思いますが、話はそこまで。両性愛者だとまで言い出すのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。

それにしても、キャロルを「男前」だの「イケメン」だのと呼びたがる向きを見たときにも思ったのですが、こんなに直球の女性同士のラブロマンスに何が何でも男性(的なもの)を割り込ませる余地を見いだそうとなさる方々の何割かには、原作のキャロルがいうこの形容がそのままあてはまるのでは。

とびきり魅力的な女性が男に見向きもしないのを悔しがっているふしもあるわね

どんなに悔しがったところで、無駄なのにねえ。

補遺:おうちキャロリングでのツッコミ&発見いろいろ

7回目の鑑賞は、米iTunes Storeで購入した本作品を家で彼女と一緒にツッコミながら観るというスタイルになりました。サブリミナル効果を狙っているのかと疑いたくなるほど細かいところまで作り込まれた映画なので、人とあれこれしゃべりながら観てみると新たな発見があってまた楽しいです。

今回はたとえば以下のような話をしながら観てました。

彼女「(冒頭で車中のテレーズが外を見る場面で)ここでテレーズが見てる女の人、キャロルじゃないんだよね。2回目に見たとき気づいたけど」

あたし「え、本当? キャロルだと思ってた」(実際、よく見ると顔が違うし、脚本でも"the woman"となっているしで、キャロルではありませんでした)

あたし(車で出かけるキャロルとテレーズをリチャードが見送る場面で)「ここでリチャードは"Love you."って言ってるのに、テレーズはさー」

彼女「"Bye."としか言わないんだよね」

あたし「最初っからリチャードに勝ち目はないのが丸わかり」

彼女(テレーズが香水をキャロルの手首につける場面で)「ルーニー・マーラとケイト・ブランシェットの手の大きさの違いがすごい。ほとんど大人と子供」

あたし(確認して驚愕しつつ)「ほんとだ……! あれって原作でいうところの『頑強そうで、動きに無駄がない手』そのものだよね。映画では削られちゃったけどキャロルは昔家具屋の仕事で中古家具の修理なんかもしてて、先祖は大工だったかもしれないと笑ってるぐらいなんだから、手の大きさも含めてのキャスティングだったんじゃないの?」

なお、もっとも身も蓋もないツッコミはこちら。

あたし(マッキンリー・ホテルのいちゃいちゃシーンで)「こんなにエッロエロなのに、ここではまだセックスしないんだよね、このふたり」

彼女「トミー・タッカーさんはこの瞬間にも隣の部屋で盗聴器をしかけて一生懸命待っているのに……」

あたし「しかも今みたいないい機材じゃなくて、あんなでっかいオープンリールデッキを運び込んでセットした上で、朝までじーっと待ってるのに……」

彼女(画面のキャロルとテレーズに)「あんたたち、トミーさんのご苦労も考えなさいよっ」

あたし「この時点でトミーさんと観客の心の声はひとつ。『おまえら早くやらんかいっ!』」

まとめ

映像と音楽と伏線に翻弄されてハラハラしながら映画館で観た1回目も、ほとんどシナリオを暗記した状態でMacBook Airに向かってアホなことを言いながら観た7回目も同じぐらい楽しいんだから困っちゃうわ、この映画。鑑賞を重ねるごとに、これはシンプルなラブストーリーだと言っていたトッド・ヘインズ監督のことばがどんどん心に染みこんできます。そう、これはシンプルで、かつ信じられないほどかわいらしい恋愛映画なんです。誰も死なない、男が図々しく割り込む余地もない、女同士のエレクトリックな恋をとらえ切った映画。長らく続いた感想シリーズもここで一区切りにするつもりですが、当分はおうちキャロリングを続け、新たな発見に励もうと思っています。