石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『白い薔薇の淵まで』(中山可穂、集英社)感想

白い薔薇の淵まで (集英社文庫)

白い薔薇の淵まで (集英社文庫)

生々しく痛々しい恋愛小説(かつ、猫小説?)

新人女性作家・塁と恋に落ちた「わたし」の物語。中山可穂さんの小説は何冊かレビューしましたが、目下のところこれがもっとも生々しく痛々しい恋愛小説だと思います。女同士のずぶずぶの泥沼とやりきれない衝突をこれほどうまく紙上で再現してみせた作家を、あたしは他に知りません。剥き出しの現実を匠の手さばきで精錬することによってのみ作り出しうる作品なんじゃないでしょうか、これ。

どのへんが「剥き出しの現実」なのかというと、まず塁と「わたし」ことクーチのキャラ立てです。断言するけど、どっちも女が好きな女によくいるタイプ。そして、見かけたら全力で逃げるべきタイプ。いちレズビアンのあたしの指が血が背骨が叫ぶもん、「逃げろ、絶対に逃げろ」と。惹かれてしまうのはわかる、全身を蕩かすような性愛にひたりたくなるのもわかる。半熟卵のゆで時間だの、ムカデの退治策だのというしょうもない話題でついついよりをもどしてしまうところも、痛いほどよくわかる。でも、これはどっちも地雷だと。

しかし、このいわば地雷女×地雷女の物語がただの陳腐な修羅場ストーリーに陥らないあたりが、匠の匠たるゆえん。そこでもっとも重要な役割を果たしているのが、塁の性格描写の鮮烈さです。だって、こんなですよ?

うちに来るときも手土産ひとつ持ってきてくれるわけでなく、いつも食べたいものをわたしに作らせ、たまには映画やコンサートへ行こうと誘ってもどこへも生きたがらず、セックスばかりしたがって、わたしがヒステリーを起こすとプイと出て行ってしまう。料理の味が気に入らないと口もつけないし、わたしが精魂こめて作ったものを平気で残す。仕事で疲れてるときに愛撫の途中でわたしが寝入ってしまうと、わざわざキッチンへ行ってわたしが目を覚ますまで皿を一枚ずつ割りはじめたこともあった。2人でビデオを見ているときに電話が鳴って、つい長電話になってしまったときには、電話線をひっこ抜くだけでは飽き足らず、コードをハサミで切り刻んでしまった。

猫じゃん、これ。通いの野良猫ですよ。実際ここから先、このお話は果たしてラブストーリーなのか「しょっちゅういなくなる通い猫」を恋う話なのか判別がつかなくなってきます。猫というモチーフを使った女と女の恋愛小説なのかもしれないし、逆に同性愛小説に擬態した猫小説なのかもしれない。どちらともとれるし、どちらでもおもしろい。むしろその境界面が溶けてなくなってしまっているところが最高におもしろい。こんな仕掛けをつくりだしてしまう手腕こそが、上の方であたしが言った「精錬」なわけです。

ちなみにクーチの方は、塁とは180度違う平凡さや鈍さがかえって地雷となっているタイプ。塁の過去に嫉妬してみたり、別れ話で「わたし、やっぱり結婚したい」と言い放ってみたりする、残酷なまでに凡庸なキャラです。がんを患う父親に孫の顔を見せるためだけに「週一のノルマ」として夫とのセックスに励み、そのくせ塁ともまた寝てしまうという愚かしさからも、激しく地雷臭が漂ってきます。個人的には風呂場でのたくるムカデ以上に忌避したいタイプ。しかしそれでもどうしてもこのキャラを憎みきれないのは、先ほどの「通いの猫」設定がだんだんボディブローのように効いてくるからです。

ひとことで言うと、いじらしいんですよ、この人。怪我をした塁のために、

「お餅も買ったし、お蕎麦も買ったし、紀文のおせちもあるからね。みかんも和菓子もレトルトのカレーもあるわ。塁はインスタントラーメンは食べないし、でもスパ王は食べるでしょ。ハーゲンダッツも十個あるわよ。あと足りないものはないかしら」

とせっせと食べ物を冷蔵庫に詰めるクーチの姿(p. 169)は、彼女が塁の手なずけた最後の野良猫を失うまいと、

ネコ缶もモンプチゴールドに格上げし、牛乳も普通のやつからジャージーミルクに変え、鶏肉のササミも、まぐろの赤身も、鰻のかば焼きまで惜しげもなく与えた。

という場面(p. 193)とみごとに二重写しになっています。表層的には「親を安心させようと男と結婚しておきながら、ずるずると昔の女を恋う主婦レズの話」なのに、おかげで実はこれが「『うちでは飼えないの、ごめんね』と見捨てた野良猫がどうしても気になって必死で世話をしに通ってしまう猫おばさんの話」でもあるのだと、ここで一気にわかってしまう。単にその猫が人間のかたちをした、小説を書く猫だったというだけ。「なら、しょーがねーな」と一気に納得させられてしまうんですよ。うむむむむ、参った。この本って山本周五郎賞受賞作だけにノンケが読んでももちろんおもしろいはずだけど、レズビアンが読むとなお一層味わい深いと思いますよ。

まとめ

エキセントリックな女性小説家と平凡なOLのずぶずぶな修羅場を、一風変わった切り口で描いた傑作。女同士の関係のリアルな生々しさと、猫というモチーフあるいはメタファーを巧みに生かした構成がすばらしく、圧倒されました。おもしろかった!