石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

映画『ウーマンラブウーマン』感想

ウーマン ラブ ウーマン [DVD]

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オムニバス形式の良作

レズビアンであることの苦さと希望とを、3つの時代(1961年、1972年、2000年)に分けてオムニバス形式できちんと描いたテレビ映画です。どうしてこんな良作が日本だと

シャロン・ストーンが魅せた! 女と女、究極の愛のカタチ。

だの、

シャロン・ストーン、大胆ヌードを披露! そして世界中で問題となっている同性愛カップルの苦悩と悩み、そして性を赤裸々に描いた本作

だのという安っぽい煽り文句(以上、すべてDVDのパッケージ裏から引用)をつけて売られているのか、皆目わかりません。シャロン・ストーンはお茶目でキュートなレズビアン役を好演してるだけで、「大胆ヌード」ってのとは180度違うし、そもそもダサダサの邦題や内容にそぐわないジャケ写からして何もかも違うじゃん! きー。

この作品、美しいベッドシーンはたくさんあるけれども、下衆な「赤裸々」さはまったくないので、単なるオカズ目的でちんこを握りしめながら見た野郎ならがっかりすることうけあい。けれど、レズビアンが登場する良質の作品を楽しみたい人なら、必ずや満足できる傑作だと思います。以下、各話を簡単にレビュー。

第1話(1961年)

長年連れ添った女性の恋人アビーを亡くした老女イーディスのお話。何が悲しいって、主人公が「アビーと自分はレズビアンとして苦労しながらここまでやってきたんだ、そのアビーの意思を尊重して欲しい」という主張を、ごくごく遠まわしにほのめかすことしかできないことです。病院での扱いよりも、強欲な親族の仕打ちよりも、こんな時まで自分や自分の愛する者のことをはっきり口に出すことが許されない時代の空気が悲しくて、つらい。

イーディスの真剣なことばはそれでも金勘定しか頭にない甥を一時退却させはしたし、ムクドリも無事大きくなったけれども、やはりすべての願いはかなわなかった。それがこの時代なのね。

第2話(1972年)

フェミニズム旋風が吹き荒れる中、フェミニストのレズビアンの間で、男性っぽい服装をするレズビアンが偏見を受けるお話。見どころは、話の後半、主人公が戸口でレズ友たちに非難のまなざしをむけるシーン。ここの表情がどんな台詞よりも雄弁なメッセージを伝えてくれます。すぐ横のジャニス・ジョプリンのポスターにFREEDOMという文字があるのも皮肉でおもしろいですね。ウーマンリブや性の解放が進んだ70年代でさえ、やっぱり異質なものは侮蔑されたり攻撃されたりしていたわけね。この話ではそれが、「無知な異性愛者に抑圧される正義のレズビアン」という構造になっていなかったのが目新しくて良かったです。

なお、ダックテイルのエイミーちゃんはトランスではなくレズビアンだと私は思いました。だって全然男に見られたがってないし、そもそも自分が男だと思ってたらレズバーにいるはずないじゃん。

第3話(2000年)

人工授精で子どもを作ろうと奮闘するレズビアン・カップルのお話。今時のレズビアン家庭像をキュートにくっきりはっきり描いてくれてあたしは嬉しい。この時代になると「レズビアンであること」自体は問題ではなく、ただの個性というか特質であって、「その上で、どう生きるか?」っていうのが当事者にとっての最重要事項なんだなあと思いました。むろん世間の偏見がなくなってるわけじゃなくて、デブ中年夫婦にうさんくさそうな目で見られたりはするわけだけど、この二人の方がそれをまるで気にしてないところがいいですね。

全体を通してコミカルなタッチなのと、主役二人が終始ラブラブハッピーなのもいいです。書類をめくるエレン・デジェネレスの長台詞はコメディエンヌの本領発揮だし、歯磨きしながら踊っちゃうシャロン・ストーンもめっちゃ可愛くて幸せそうでステキ。

あと、セックスシーンでカメラが股間と乳ばっかり「ぐへへ」と追いかけてないのも好印象。そうそう、こういうのがレズビアン視点なのよ! 『マリア様がみている』を見て疲れ切った心が癒された気がします。

まとめ

3話とも、それぞれの時代の悲しみや幸福をきちんと描いてくれているのがとてもいいです。細かなところを比較して見るのもまた一興。第1話で描かれる痛みと悲しみは相当シビアだけれども(かつて落ち込んでいるときにこれを見たら、『あたしもババアになったらこうなるんだ』と思ってしまって、それ以降数年間このDVD自体を見られませんでした)、第3話のおバカで爽快なラストはそれを乗り越えて見る価値があります。とにかくあのダンス、ダンスを見てくれ!