石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

キュンキュンするし構成もいい~小説版『The Prom』(Saundra Mitchell)感想(ネタバレ)

The Prom: A Novel Based on the Hit Broadway Musical (English Edition)

10代レズビアンの奮闘をこまやかに描く力作

Netflix映画にもなった同名ミュージカルコメディの小説版。映画よりもブロードウェイ俳優たちのドタバタを控えめにし、その分ティーン・レズビアンの恋と奮闘をこまやかに描いています。悪役の扱いなどにはネトフリ版より整合性があり、最後にあっと言わせる構成の妙にも拍手。

ニコール・キッドマンの役はなし

『The Prom』は、田舎町のレズビアンの高校生がプロム参加を阻まれて全国的なニュースになり、そこに売名目当てのブロードウェイ俳優たちがからんで大騒ぎになるというコメディ。この小説版を読み始めてびっくりしたのが、ブロードウェイ・スターのキャラが、ディーディー(メリル・ストリープの役)とバリー(ジェイムズ・コーデンの役)の2人しか出てこないということ。したがってネトフリ映画版のジュリアードがらみのギャグは出てこないし、ニコール・キッドマンの"Zazz!"の場面もないんですね。校長がディーディーのファンだという要素も削られており、"It's Not About Me"に代表されるような、アホでにぎにぎしい楽曲に相当する部分もほとんどありません。"Love Thy Neighbor"の場面はあるけど、びっくりするほど地味な会話シーンに変更されています。

あの華やかなNetflix版を見た直後にこれを読んで、ちょっと寂しい気がしなかったと言えば嘘になります。ただ、ページが進むごとに逆に「小説版はこれで正解だった」という確信が高まっていったのも事実。というのは、役者たちのドタバタを思い切ってカットし、主役の座を完全にエマとアリッサのレズビアンカップルに振った結果、このふたりがNetflix版よりはるかに厚みと魅力のあるキャラになっているから。ネトフリ映画では「大人に翻弄される駒」ポジション寄りだった彼女らですが、このYA小説では同じキャラとは思えないぐらい具体的かつユニークな存在になっていると思います。

レズビアンYA小説として100点あげたい

エマとアリッサの恋心の描写がめっちゃ緻密でキュートでキュンキュンします。色気もちゃんとあり、エマが初対面のアリッサの唇に見とれてキスしたいと願うところや、アリッサが眼鏡を外したエマの鼻に自分の鼻を押し当てながら彼女を見るのが好きだ、こうするとエマは微笑んで、頬が唇と同じようにピンク色に染まっていくんだと言っているところなんて、たまりません。「アナ・ケンドリック」のような固有名詞の使い方や、アリッサの「わたしたちの手がまったく同じサイズなところが好き」なんて視点も、大変レズビアンぽくてよろしいと思いました。

エマの過去のカミングアウトやアリッサの家庭の事情など、Netflix版では最小限の説明しかされていなかった部分も誠実かつ丁寧に作りこまれていると思います。そうそう、こういうところが手薄だったから、ネトフリ版だと「駒」っぽく見えちゃったんだよふたりとも。特にアリッサの方は、支配的で強迫的な母親との共依存的な親子関係と、そこからの脱却のプロセスがしっかり描かれていてよかったです。彼女の、

わたしは責任を振り払った。わたしは未成年なのだから。彼女は母親なのだ。わたしの仕事は彼女の世話をすることではなく、彼女がわたしの世話をするはずなのだ。

me desprendo de la responsabilidad, porque soy yo la menor de edad. Ella es la madre. Mi tarea no es cuidar de ella, se supone que ella debe cuidar de mí.

……なんてモノローグ(p. 181。日本文は拙訳。原文がスペイン語なのは、Spanish Editionで読んだからです)は、多くの機能不全家庭出身者の胸に刺さりそう。そんなこんなで、レズビアンが主人公の恋愛小説としても、青春小説としても面白い作品になっていると思います。

まとめ方もナイス

序盤から名脇役として出てくるエマのおばあちゃんが、こんなセリフを言う場面(p. 145。日本文は拙訳)がありまして。

そういう人たち(訳注:性的少数者の子どもをプロムから追い出そうとする人たち)の中には怯えている人もいる。無知な人も。それから、憎悪で頭がいっぱいの人も。最初の2種類についてはどうにかできるけれど、残りは神様の手にまかせておくしかないねえ。

—Algunos de ellos tienen miedo. Y algunos son ignorantes. Y sí, algunos están llenos de odio. Podemos hacer algo con los primeros dos tercios, pero al resto hay que dejarlos en manos de Dios.

で、話のオチもこれに沿ったものになっています。つまり、「みんながみんなわかってくれて差別がなくなりましたー、パチパチ(拍手)」みたいな終わり方にはならないんです。最後のプロムの場面では、祝祭感に満ち満ちた会場の外に、わざわざ遠くからやってきて抗議している人たちもいることがさりげなく描かれています。わかるわかる、ウエストボロ・バプティスト教会みたいな人たちだよね。そして、物語最大のヴィランであるアリッサの母親にしても、いきなり180度変わって笑顔で娘を応援し出したりはしていません。それでも彼女なりに、準備中のプロム会場に突然現れ、辛辣な口調でエマにいちおう挨拶をして、アリッサに「プロムにはいつもおばあちゃんのパンチボウルを貸しているから」と言ってパンチボウルを渡して帰って行ったりはするんですけど。このように人間の複雑さへの目配りがちゃんとある作品だからこそ、主役ふたりのラストの幸福感と高揚感が一層リアルなものになっていると思います。

そうそう、オチと言えば、「やっぱりミュージカル要素が恋しい、楽曲がないのは悲しい」とお思いの方は、最終章のあとにおまけのようにくっつけられている、雑誌「ブロードウェイ・スコア!」によるディーディーとバリーへのインタビュー(という設定の章)までぜひお読みになってくださいな。「ミュージカルがまずあって、そこから要素を減らしてこの小説が作られた」のではなく、実は……というメタフィクショナルなひねりがきかせてあって、驚かされますよ。

まとめ

「ミュージカルの小説化って、いったいどうやるんだ……?」という疑問に、「ミュージカル部分を削りまくってYA小説に全振り」という荒業で答えた快作。レズビアンYA小説として大変よくできているし、最後の「インタビュー」にはミュージカル版への敬意もあって、楽しく読みました。今のところ英語版とスペイン語(castellano)版しか出てないみたいだけど、面白すぎてモリモリ読めてしまうので、語学の勉強にもとてもいいと思います。おすすめ。