石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

ドラマ『Sense8』シーズン2感想

Sense8: Season 1 (A Netflix Original Series Soundtrack)

テーマがいよいよ明瞭に。セクマイ描写もナイス

仲間同士で感覚や能力を共有できる特殊能力者たちの苦闘を描くSFドラマ。個々のキャラごとの問題解決はまだ遠い半面、物語全体のテーマはいっそう明確に打ち出されています。同性愛者やトランスのキャラの名シーンは、何度見ても泣きそう。

リトのアウティングその後

シーズン1終盤でアウティングされたゲイのメキシコ人俳優リトは、シーズン2ではさらに過酷なホモフォビアに晒されます。その一連の流れが、ヘテロが他人事として眺めて楽しむための「ゲイの悲劇」ではなく、人と人との分断という誰にでも降りかかり得る問題のひとつとして提示されているところがユニークだと思いました。このような表現を可能にしているのは、リトの経験を、彼と感覚を共有する感応者たちの苦闘とリアルタイムでかぶらせていくという手法。代表的なのはS2E1、つまりクリスマス・スペシャルとして前もって公開されていたエピソードでの、カーラとリトの同時シャウトの場面です。こういうことのためにこそ、このドラマは8人もの主要キャラのストーリーをパラレルに進行させてきたのだと思いました。

蛇足ながら付け加えておくと、メキシコというのはホモフォビアを原因とする殺人事件が1995~2015の間だけで1310件も報告されている国。つまり、平均すると少なくとも週にひとりはホモフォビアによって殺されている国。同国の約2万人のLGBTの人々を対象とした調査では、回答者の35パーセントが「職場で差別されたことがある」、10人にひとりが「性的指向または性自認を理由として解雇されたことがある」と答えており、55%が職場ではカミングアウトしていないと述べています。その国で同性愛者の有名人がアウティングされたらどんな目に遭うかは、想像に難くないでしょう。今シーズンでリトに降りかかる受難はどれも現実世界でも嫌というほど起こっていることばかりで、見ていて身を切られるようにつらく、それだけに、カミングアウトがもたらす光の面が描かれる箇所では本当に救われる思いでした。特にS2E7の、エレベータの中の場面が最高。あのたった一行の台詞にどれだけの思いがこめられているか、世界中の同性愛者が知っているはず。

ノミとトランスフォビア

トランスジェンダー女性のハッカー、ノミは今回、妹の結婚式で、これまで避けていた親戚たちと顔を合わせることに。ここで彼女が出くわすトランスフォビアとして、あからさまに敵対的な態度以外にも、「あちこちからにらまれたりじろじろ見られたり、あと色目も使われた。酔ったおじさんは『まだ竿は付いてるか』って」(ノミ談)という、たぶんやらかした当人はフォビアだと気づいてすらいないものまできちんと押さえられているところがよかった。わかりやすく罵ったり暴力をふるったりすることだけが差別というわけではありませんからね。

それらに立ち向かう「ヴァルネラブルだけれど強い」(ジェイミー・クレイトン談)ノミの姿、ノミを守ることを絶対にあきらめないアマニタの愛、そして土壇場での意外な人物からの意外な助けなど、どれもリアルな手ごたえがあってよかったです。特に最後のひとつについては、生涯ああした助けが得られずじまいの人が山ほどいるという現実があるだけに、いっそう胸に染みました。深いよなあ、このドラマ。

そうそう、余談だけど今シーズンのノマニータ("Nomanita"、ノミとアマニタのレズビアンカップルのシップネーム)の一番いい場面はシーズン最終話に出てきます。あのシークエンス、前半までは読めたけど後半で起こることは完全に予想外で、見ながら思わず叫んでしまいましたよあたしは。

ホモ・サピエンスの明日はどっちだ

『センス8』の主人公8人は、突然テレパシーでお互いの感覚がつながり、能力や体験を共有できるようになった人たち。前シーズンでは主として感応者("sensate")としてカテゴライズされていた彼らですが、今シーズンでは実は彼らはホモ・サピエンスとは異なる人類「ホモ・センソリウム」の遺伝子を持っていて、そのために追われているのだということが強調されています。言葉を介さずに意思疎通できたセンソリウムたちは、自分と異なるものを恐れるサピエンスによってかつて滅ぼされ、その遺伝子を持つものたちが今また狩られているという設定です。

シーズン2をひととおり見るまでは、このドラマはサピエンスの暴力と不寛容を批判し、センソリウムの可能性に人類の未来を見る話なのかと思ってたんですよ実は。でも、どうやらそういう物語はないんですねこれは。英語圏では自分以外の人の立場に立ってみることを"put oneself in a person's shoe"(誰それの靴をはいてみる)などと形容しますが、常に仲間の靴どころか人生まで否応なく体験せざるを得ないセンソリウムでなくても、つまりサピエンスでも、自分と違う者を恐れず、その人の「靴をはく」ことができる人がいることを本作品は明快に示しています。例を挙げれば、東ベルリンから来たヴォルフガング少年を守り抜き、今も傍を離れようとしないフェリックスや、思い切った行動でサンを助ける中年女性受刑者や、リトとエルナンドのために奮闘するダニエラや、ノミが性別移行しても動じもしないバグなどがそうです。人は血縁もなければ恋愛関係があるわけでもない異質な相手にこれだけの共感や連帯を示すことができるのであって、希望を託すならそこだということを、このドラマは示しているのでは。

その他雑感

  • サンの復讐劇はスリリングだったりコミカルだったりして大変見ごたえがありました。一部ブルース・リー映画やターミネーターのオマージュっぽいと思ったら、後者に関しては台詞でもろに言及があったりして楽しかった。
  • サンがやたらと脱がされ過ぎてるような気もしたんですが、よく見ればリトやヴォルフガングもばんばん脱がされているので、サンだけを「脱がされ過ぎ」と感じた自分の感覚が偏っているのかも。
  • バイオレンス描写はかなり強烈で、テレビだったら(Netflix配信でなければ)無理だったろうと思われる箇所もいくつかありました。苦手な人は注意した方がいいかも。

まとめ

LGBTQがらみのエピソードは相変わらずキレッキレだし、テーマも今日的だしで、たいへんおもしろく鑑賞しました。早く続きが見たいわ……と思っていたのに、ここまで感想を書いた時点で、なんと本作品はシーズン2で打ち切りというニュースが。ショックだ。予算のわりに『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』等ほどヒットしなかったのが原因ではという指摘もあるみたいですが、せめてサンの復讐だけは最後まで描いてほしかった。ああああ。というわけで現在錯乱しているので少しも文章がまとまりませんが、Netflixにはせめて単発の2時間ドラマを作るとかしてなんとか物語にけりをつけてほしいと思います。ここまで持ってきて打ち切りって、そりゃ、ひどすぎるよ!!