石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

変化する人、しない人、そしてテーマの普遍性―映画『キャロル』2回目鑑賞後の感想(ネタバレあり)

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※初回鑑賞後の感想はこちら:映画『キャロル』感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
※2016年2月21日追記:3回目の鑑賞後、内容の記憶違いがあった部分を修正しました。

変化する人、しない人、そしてテーマの普遍性

"Keep Caroling"*1を合言葉に、2度目の『キャロル』を観てきました。今回改めて思ったのは、この映画を読み解く大きな鍵は登場人物の変化だということ。物語をつうじて変化・成長するキャラと、しないキャラがいるでしょ? 

キャロルとテレーズの変化

キャロルとテレーズの葛藤の根源は「同性同士であること」だけではなくて、ふたりの立場の根本的なアンバランスさにもあると思うんです。年齢も社会階層もそれまでの経験もまったく違うふたりが、お互いほぼひと目惚れで恋に落ちたあと、いかにして関係を築いて行くのかというのがこの物語の重要なポイント。高揚と抑制が危なっかしく綱渡りをするかのような自動車旅行を経て、ふたりはそれぞれ自分に欠けているものに気づき、大きな変化を遂げます。キャロルとテレーズが、それぞれ最終的に自分の意思でともに歩む将来を選択することができたのは、この変化のおかげです。

彼女たちのこの変化が端的に示されているのが、ニューヨークに戻った後、キャロルがタクシーの窓からテレーズを見かけ、切なく目で追い掛ける場面。ふたりが知り合ったばかりの頃は、このような「気づかぬ相手を目で追う」という動作はテレーズの専売特許でした。「しがないデパートのアルバイトの地味娘が、謎めいた裕福な年上美女に焦がれて見とれてしまう」の図だったんです。しかし、後半のこの場面では見る者と見られる者の立場が逆転し、「弱い立場に立ったキャロルが、美しく自立したテレーズに目を奪われる」の図となっています。ふたりの関係はここにおいてひっくり返り、以前のような固定的なパワーバランスではなくなっているんです。

タイムズ前でテレーズが身につけている服のあざやかな赤色は、かつてキャロルが12月にマンハッタンを訪れたときのコートの色を思わせるもので、テレーズの変化には少なからずキャロルの影響があったことをうかがわせます。一方、この後法律事務所でキャロルが見せる決断もまた、テレーズの存在なしではなしえなかったもの。ふたりがそれぞれ、アメリカ縦断という外面的な旅だけでなく、求めるものに向かって大きく一歩踏み出すという内面的な旅をも果たしたのだということを、このわずか数秒間のカットは暗示しています。

このように主要なキャラクタの変化・成長がはっきりと描かれているからこそ、あの台詞がひとつもないファイナル・イメージがより味わい深いものになっているのだとあたしは思いました。英語圏の先行レビューで本作品を「単に『レズビアンの』映画というだけにはとどまらない、もっと普遍的なテーマを持つもの」と評する意見が多く見られる理由も、これでわかった気がします。『キャロル』は、「恋に落ちた相手と、いかにして関係を築くか」というあらゆるジェンダーの恋愛に通じるテーマのもとに紡がれた、一編の成長物語なんです。

変化しない男たち、そして気の毒なハージ

キャロルやテレーズとは対照的に、ハージとリチャードはお話の最初から最後までびっくりするほど変化がありません。どちらも一本調子に、キャロルやテレーズに向かって「(自分の望む通りに)変われ」という要求をつきつけているだけ。彼らがしあわせになれないのは、自分の問題や足りない部分に気づかず、かつ、気づこうともしないからで、これもかなり普遍的な話なんじゃないでしょうか。今でもいっぱいいますよね、こういう人?

ただし、ここでハージの名誉のために言っておくと、50年代の価値観ではハージはかなりのいい男なんじゃないかと思うんですよ。裕福な階層出身で、おそらくは高い学歴や教養もあり、大学ではフットボールのひとつもやっていたと思われる堂々たる体躯(あのケイト・ブランシェットとダンスを踊ってもまったく見劣りしないカイル・チャンドラーをキャスティングした人が偉いと思うの)で、仕事でも成功していて、郊外に素敵な家を建てて妻子に何不自由ない生活をさせ、子煩悩なパパで、しかも妻のことが好きで好きでたまらない人で。

そう、ハージはハージなりに奥さんのことが大好きで、だからこそ手放したくないと思ってるんですよね。リンディの親権を盾に脅したりすかしたりするのも、アビーに対して嫉妬の炎を燃やすのも、結局はキャロルが好きだから。法律事務所での最終的な会談では、キャロルが何を言い出すかと緊張するあまり、先生に叱られる子どもみたいにせわしなくパチパチパチパチまばたきしてるんですよこの人。厚い胸板と時折の激高にだまされちゃいけない、ハージは実は弱い部分も多々あるひとりの恋する男なんです。

ただね、その弱さに自分で向き合わず、50年代的なマチスモの鎧を着るだけで終わってしまっているのがハージの悲劇だと思うんです。妻の望みや願いに耳を貸すことより、男は休みなく働いて稼ぎ、美しい妻を「飾り」としてはべらせてナンボだという価値観の方を彼は重視しています。ハージはまた、キャロルのことをよく思っていない母親に、そしてエアード家に全面的に立ち向かうことはできず、ただ従順な理想の息子を演じるだけ。「金を稼ぎ、資産とステータスを維持して妻子に楽をさせるのがいい男」という価値観がもし全面的に正しいのなら、これほどいい男もいないのかもしれません。しかし、愛する妻から苦痛を訴えられても変わらない、変われないというのは悲劇ですよ。そんなんだから、キャロルの首もとの香水の匂いを嗅ごうとしてもあんな反応(テレーズとはえらい違い)しか返ってこないという悲しいことになっちゃうんですよ。

というわけで、ハージは悪い人というより「弱っちくて気の毒な、ええとこのボン」だというのが、2度目の鑑賞後にあたしが持った感想です。かなりの"jerk"として描かれているリチャードとは、その意味で好対照なキャラだと思います。

蛇足

2度目の鑑賞後の、あたしと彼女の会話はこんなでした。


あたし「『物心ついたときにはもうLの世界がありました』みたいな世代には、どうしてこれが画期的な映画と言われるのかわかりにくいかもね。それはそれでいい時代になったとも思うけど」

彼女「『バウンド』どころかあの……パイパー・ペラーボのあれってタイトル何だっけ?」

あたし(即座に)「"Imagine Me & You"。邦題だと『四角い恋愛関係』

彼女「あれですら知らない人が多いからね、もう。それでもやっぱり、メインストリームの映画で、50年代が舞台で、しかも女同士のハッピーエンドっていうのは凄いことなんだけど」

あたし「今池のシネマテーク*2みたいな小さい箱でだけやるインディー作品じゃなくて、しかもケイト・ブランシェットとルーニー・マーラ主演で、白いアカデミー賞とはいえオスカーにもノミネートされるなんてねえ」

彼女「これまでのノミネート作品だと『ブロークバック・マウンテン』は人が死ぬし、『キッズ・オールライト』は……」

あたし「(ものすごい酷評なので割愛)。それでもさー、うちらの世代はたとえ悲惨な展開の話でも『それでも女同士の関係が出てくるなら』って割り切って見続けてきたわけだけど、それって砂漠をさまよっていたら塩水でも泥水でもとにかく飲んで生き延びるっていうのと同じでさ。本当は六甲のおいしい水とか飲みたいわけよ。ボルヴィックやエヴィアンも飲みたいわけよ。『キャロル』は、『砂漠で穴掘ったらついに真水が湧き出て来ました』というのと同じぐらいありがたいわ、あたしには」

彼女「(笑)」

あたし「ここに種を植えて緑の地にしよう」

彼女「(笑)」

蛇足2

このエントリのアイキャッチ画像は、前売り購入特典のポストカードです。キャラの変化についてひたすら考えながらこの感想を書き終わった今、あらためて見ると、真ん中のカードの"CHANGE YOUR LIFE FOREVER"というキャッチコピーが意味深だわー。

まとめ

2度目の鑑賞で特に注意して見ていたのは色彩の表現とカイル・チャンドラーの演技なのですが、おかげでキャラの変化や対照性などを1度目より深く味わうことができ、テーマの普遍性にも気づくことができました。3度目の鑑賞ではどこに注目して見ようかと思案中です。

*1:映画『キャロル』鑑賞後、同作品のことを言ったり書いたり考えたりし続けてしまうこと。

*2:マイナー映画を積極的にとりあげている名古屋のミニシアター。座席数40席。